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統計数字と算出の苦悩

10省市でグリーンGDP環境保護支出を統計の範疇に

 国家環境保護総局と国家統計局は2月28日、近日10省市でグリーンGDPを試行実
施することを明らかにした。
 この20の試行省市は北京市、天津市、河北省、遼寧省、浙江省、安徽省、広東
省、海南省、重慶市、四川省で、試行期間は1年。
 試行内容は、地域環境の計算の枠組み、汚染損失調査、環境計算等の確立と、
汚染損失事例調査を通じた、地域汚染による経済損失の概算方法の確立、企業・
国家部門及び社会環境保護支出の状況の調査である。
 2004年3月、国家環境保全総局と国家統計局は共同でワーキングチームを設置
し、共同でグリーンGDP研究を開始した。
 国家環境総局の潘岳副局長は、グリーンGDPは環境計算及び汚染による経済損
失調査を主要な内容にする国民経済計算の手法であり、中国独自のグリーン国民
経済計算システムの建設すべく今まさに歩を進めているところであり、試行事業
の開始は、できるだけ早急にグリーンGDP計算を全面実施するための基礎となる
だろうと指摘している。
 グリーンGDP計算システムは、技術上及び観念上二つの問題点を抱えている。
 技術上の問題点について言えば、GDPは市場経済を前提にしており、貨幣を手
段とした市場価格で成り立っており、環境要素の大部分は市場売買に入っていな
い。したがって、どのようにして環境要素の価格を考えるかが一つの難点である。
 例えば、森林伐採をして原木を売りに出すとしても、原木の販売価格は原木そ
のものの価格を示しているのであって、森林が持つ大きな生態系の価値を示して
いるわけではない。森林を伐採して土壌流出と種が減少したとしても、これらの
損失は市場価格に反映されず、その価値を確定することは難しい。
 しかし、専門家が研究した推計モデルは少なくなく、実践の中で修正していく
ことはできる。
 観念上の問題点について言えば、グリーンGDPの意味する観念が、全く新しい
政治業績を意味する観念に変化していることである。
 グリーンGDPは、総合的には国民の真の福利を反映しているが、グリーンGDPを
実施することは発展の中身と評価基準を変更させることになる。環境コストを差
し引けば、経済発展データは大きく下落する地域も出てくる。これは、人々の観
念を徐々に変えさせることになる。
 しかし、たとえ苦難のプロセスがあったとしても、この観念に転換することに
なるだろう。〔国際金融報3月1日〕

グリーンGDP コンセプトはよいが実用化は?

 1年間にわたった下準備を経て、国家環境保護総局はおととい、正式にグリー
ンGDPを試行する10の省市リストを公表された。
 国家統計局スポークスマン、総合司の鄭京平司長は、まずグリーンGDPという
コンセプトの提示は国民の環境保護と資源保護意識が高まることを肯定したが、
「グリーンGDPに対する期待が高過ぎる部分がある」と述べた。
 研究の現状について、鄭京平司長は、国家統計局は国家環境保護総局、国家林
業局とそれぞれテーマ研究を行っていると話した。「しかし、グリーンGDPのコ
ンセプトはとてもいいが、を実用化は大変困難であることを認識しなければなら
ない」と強調した。
 技術的難しさからいうと、グリーンGDPは2つの価格を決めなければならない。
一つは汚染管理に払うコストで、もう一つは資源を消耗するために支出する金額
である。しかし、このコストと価格設定は時間、場所によってそれぞれ異なり、
その計算はとても難しい。
 また、グリーンGDPは、GDPを創出するために使った資源の価値をマイナスして、
それからさらにGDPを創出するためにもたらした汚染管理コストをマイナスしな
ければならない。
 「この定義から、グリーンGDPは実際にはGDPをもとにしていることがわかる」。
鄭京平司長はこのように述べた。
 上述の観点を詳しく述べた後で、鄭京平はグリーンGDPを計算するために別の
可能性を出した。一部の問題は普通のとても簡単な方法で計算できるのであって、
グリーンGDPを計算しなければならないわけではないという。
 例えば、ある山村が硫黄の鉱山採掘のために深刻な汚染をもたらしたとすれば、
肺がんの発病率が上昇したり、新生児異常の発生率が高くなるといったことが一
目でわかる。しかし、もしこれらをグリーンGDPとして計算してしまえば、原因
がわからなくなる可能性がある。
 「環境汚染管理について、環境保護、資源保護などは必ずしもグリーンGDPの
側面から考えなくてもよいのではないか」。
 なお、鄭京平司長は、グリーンGDPについてのコメントの冒頭に、「個人的な
見方」との断りを入れている。〔第一財経日報3月2日〕

安徽省蚌埠市統計局長の自殺の謎 統計と自殺の因果はあるか

 2005年2月18日、安徽省蚌埠市役所の7階にある統計局内には、まだ春節の後の
寂しさが残っていた。午前9時過ぎ、劉敏局長がビルの最上階の9階でうろうろし
ているところを目撃されている。10時30分ごろ、長い間ためらった後、劉敏局長
はビルから身を躍らせ、自殺した。
〈劉敏局長の人となり〉
 劉敏局長は、安徽省宿州人、1957年2月生まれ。党校大学を卒業し、1975年9月
に就職した。専ら物価システム畑を歩み、物価科の事務員から副局長にまで登り
つめた。劉敏局長は2002年2月に市統計局局長兼党組織書記となった。
 2月20日午後8時ごろ、劉敏局長の柩安置室に駆けつけたときには、既に花輪が
いっぱい積み重ねられていた。蚌埠市の大きな機関のほとんどから花輪が送られ
ていた。
 劉さんの未亡人を探し、あいさつ程度の話が多少できた。彼女はすぐ親族に支
えられてその場を離れた。教師をしているというこの未亡人は質素な感じの人で、
「きょう一番たくさん話をしたのはあなたです」と語った。
 劉敏局長の死因について彼女は多く語りたくないようだ。多くのデマがとんで
いることに言及すると、彼女は「他の人がどのように思っていようと関係ありま
せん。私たちの心の中に真実があります」という。
 少し後、霊安室で劉敏局長の御子息にお会いした。大学3年生だという御子息
は、大変大人っぽく「両親は2人とも党員ですので、取材は御遠慮させていただ
きます。父のことは組織にお聞きください」と語った。
 さらに、「訃報が発表されています」と教えてくれた。
 次の日の朝、市政府の入り口で訃報を見た。
 「(劉敏同志)は市の経済発展のために多大な貢献があった」蚌埠市統計局から
出されたもので、日時は劉敏局長が他界した翌日になっていた。
 2月22日の朝、劉敏局長の追悼会が蚌埠葬儀場で開催され、蚌埠市委員会の常
務委員は全員出席していた。告別式の会場で、司会者は劉敏局長が1981年に全国
物価システムのパイオニアに選ばれ、多くの表彰を受けていると述べた。
 当地のアナリストによると、劉敏局長の官界での評判はかなりよく、性格は比
較的にまじめであるし、物価局と統計局はよく知られている「清廉な部門」であ
り、劉敏局長が経済的な問題で自殺する可能性がほとんどないという。
〈自殺の謎〉
 蚌埠市の広報部によると、劉敏局長が死亡した翌日、死因は心配性精神病であ
るという公安局の見解がすぐに発表された。
 心配性精神病の病状の一つに不眠症がある。蚌埠統計局の劉敏局長の部下は
「事故が起きる前、彼はよく眠れないと言っていた」という。
 しかし、劉敏局長が統計局長になる前、いわゆる心配性精神病であった様子は
ない。蚌埠物価局の事務室で物価システムに携わったことのあるかつての同僚は、
「物価局にいたころはそんなことはなかったようだ」と話している。
 劉敏局長は市の物価局副局長から統計局の党組織書記兼局長に抜擢された。抜
擢されたとき、こういった病気について考慮されたのだろうか?。広報部は、統
計局局長になってからこの病気になったのではないかという。
 統計局の同僚は、劉敏局長が移動してきたばかりのことを覚えていた。性格は
比較的にさっぱりして、よく冗談を言っていた。しかし、ときがたつにつれ、
「次第に口数が少なくなり、ひどいときには顔を合わせてもあいさつさえしない
ような状態だった」。
 では、劉敏局長は統計局の局長になってから、心配性精神病になったのだろう
か?。この疑問については、今なお明確になっていない。統計局の関係者による
と、統計局の仕事が特に激務というわけではないという。
 何度も統計局の事務室を訪れたが、劉敏局長以前の部下は取材を拒否している。
劉敏局長の友達だと言って統計局に電話をかけても、この問題に対しては同様に
避けて話してくれない。
 市政府ビルからの自殺の原因は個人的なことではないと誰もが考えている。劉
敏局長の友達も、彼の家庭はとてもうまくいっていたと話している。
 劉敏局長の友達は、これは事故であり、ちょっとした考え違いじゃないかとい
う。しかし、劉敏局長が自殺する前に、何回も親しい人に「本当に生きていきた
くない」と訴えていたという情報もあるのだ。
〈統計と自殺の因果は?〉
 劉敏局長が自殺するとき、蚌埠市の経済データはすべてマイナスであった。
 「政府活動報告(草稿)」では、蚌埠市の2004年GDPは260.99億元で、同時期と
比べて16.5%増加し、初めて全国、全省平均を上回り、さらに1998年以来の新記
録をつくるだろうと予想されている。
 しかし、蚌埠市の関連部門が提供した資料では、2001、2002、2003年の蚌埠市
のGDP成長率は8.0%、10.5%、6.4%にすぎない。
 6.4%から16.5%へと、蚌埠市の経済発展速度は1つの奇跡をつくり上げた。上述
の資料を提供してくれた役人は、この成績は主に2004年の蚌埠市の農業が成長し
たためだと言う。
 蚌埠市政府の資料では、2004年の1―9月、蚌埠市の農業総生産額は30.4%増加
し、2004年の年間農業総生産額はさらに35%に達している。
 しかし、農業が蚌埠市の経済に占める割合は比較的低く、前3四半期の170.3億
のGDPのうち、農業貢献は29.99億だけである。実は、蚌埠の昨年第3四半期の工
業情勢も非常に喜ばしいもので、工業生産額は16%増加している。
 また、政府活動報告では、2004年の蚌埠市都市部住民の1人当たり可処分所得
は8000元で10.5%増加となり、ここ8年の最高増加幅であった。農民1人当たり純
収入は2680元で32.5%増加で、史上最高増加幅となった。
 安徽省と比較しても、蚌埠の成績はかなりすばらしいものである。しかし、16.5%
は政府予測にすぎず、蚌埠市統計局の統計官報はまだ発表されていないのだ。
 中国の現行の統計制度では、地レベル市GDPの関連データは、上のレベルにあ
る省統計局のデータが発表された後に調整してから発表される。2005年2月3日に
安徽省の統計官報は発表されている。仕事の進度から見ると、現在は省クラス統
計機関と地・市レベル統計機関が2004年各統計データ照合をしている重要な時期
である。
 このような観点からこの自殺を見ると、劉敏局長の死についていろいろな憶測
を招くことは免れない。
 特に気になったのは、劉敏局長が自殺する前に、蚌埠のちまたで言われていた
「統計局長はつらい仕事だ」といううわさである。劉敏局長の前任の王成貴さん
は任期も短く、その後市人民代表大会の財政経済委員会の副主任になっている。
 王成貴さんに統計局長のストレスについて取材したところ、それほどではない
と答え、それ以上の質問についてはえんきょくに断られてしまった。
〈数字に見る「懸念」〉
 劉敏統計局長が日に日に憂うつになっていたころ、蚌埠、このかつて光り輝い
た都市はとっくに昔日の栄光を失っていた。
 蚌埠は古い工業都市、そして鉄道の中枢として有名である。1978年の蚌埠市工
業生産総量は合肥に次いで安徽省全省で第2位であった。
 しかし、改革開放が進むにつれ、特に1990年代以後、蚌埠の経済発展は比較的
停滞し始めている。
 1998年の蚌埠市のGDP、1人当たりGDP、工業生産総額はすべて安徽省全省の8位
で、1990年代初めの3位、l位、3位に比べてランクダウンしている。1998年以降、
蚌埠市の経済発展速度は全国、安徽省全省の平均的水準よりずっとおくれている。
 このような背景のもとで、蚌埠市では最近「3461」行動計画が発表された。
 これは実は蚌埠市が全面的な小康社会建設への初歩段階(2003年―2007年)の発
展目標と重点建設任務を計画したもので、計画の第1目標は、「2003年―2007年、
蚌埠市全地域のGDP成長率を年平均約10%に増加させ、2007年までに300億元を突
破する」ことであった。
 しかし「3461行動計画」の1年目は、目標を実現できなかっただけでなく、大
きく割り込むことになった。政府の統計資料では、2003年蚌埠市のGDP増加は6.4%
にしかすぎなかったのだ。
 仮に、2004年の最終データが政府活動報告の予測どおりならば、つまりGDPは
16.5%増加し「3461」計画の10%の成長は実現したことになる。
 しかし、さまざまな原因により、統計官報データと政府工作報告の当初予想デ
ータはしばしば一致しない。統計局の役人から政府活動報告の存在を聞き、統計
局で関連データをチェックしたいと思っていたが、「資料統計は今もちろん来て
いる。しかし、まだあなたに見せることはできない」という。
 安徽省統計局総合処の関係者は、「安徽省地・市の統計官報は、この時期続々
と発表される。普通は遅くとも3月までにすべて完成する」。そして、政府報告
では蚌埠の来年のGDPは10%増と予想されている。
 ――これらはすべて、もう劉敏局長とは関係のないことになってしまったが。
〔21世紀経済報道2月23日〕
(次号に続く)