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「カレーライスとカツ・カレー」~中国の飯やにて想う

岡田 章一

ある日、昼食を食べに入った北京の某酒家(レストラン)でのこと。酒家といっても和洋中その他何でもが食べられる小さな飯やだ。安くてうまいので時々利用している。適当な席に座って、いつものように「カレーライスを下さい」とウェイトレスの小姐に注文した。ところが「カレーライス、今日は無い」とのつれない返事。えっ品切れかぁとがっかりしていると、間髪をいれず彼女が「カツ・カレーならできる」と言った。私は再びえっと驚く。なぜなら、それはカレーライスに豚カツを添えただけのものだからである。ということは、即ち本体+αは存在するが本体は存在しないという理屈になる。これはまるでアインシュタインの相対性理論の如き難解な話だ。こちらが狐に鼻をつまヽれたような顔をしている間も、ウェイトレスの小姐嬢は「本日の菜単(メニュー)にはカレーライスは無い」を頑強に主張するばかりで、一向にらちがあかない。「無いものは無いのだ」というわけだ。私が面白がって粘るものだから、奥から(本日の)メニューなる物をわざわざ持ってきた。見るとカレーライスの文字の上に細い白紙のテープが張ってある。気の毒なことに、急いで店の奥で貼り付けたらしく糊の跡も生々しい。ではまぁこの辺までと諦めて、私はカツ・カレーを注文した。値段はカレーライスよりも8 元ほど高かった。 その翌日、さて如何なりやと、またその店に行ってみたら、メニューの白紙テープは取り去られていた。やはり他の客からも文句が出て、突っ込まれたものと見える。

後にそこの常連の友人に聞いたところでは、どうも前の週に店主が豚肉を仕入れ過ぎてしまったので、その日に考え出した文字通り「苦肉」の策だったらしいとのこと。
客がどうあろうと、「お触れ」一つで万事を決めてしまおうとする感覚が、ちょっと我々とは違うなぁと感じられたものだ。その主犯の亭主も顔を出してきたが、けろっとして愛想笑いなどをしていたから、別にどうということもないのだろう。ちょっとやってみたが、やはりだめだったかという感じなのである。これが日本だったらそうはいくまい。客を引っかけやがって…もう来てやらないぞ、等々少なくともそういった客の視線に、後ろめたい雰囲気くらいは漂わせているはずである。私はカレー(普通のカレー)を食べながら、心の中で「見事に失敗だったな、残念でした、ははは…」と思っていた。だがよく考えてみると、少なくとも、私という昼飯客をして、様子を見に、二日続けてその店に足を運ばせた効果があったことは、間違いのない事実であった。