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第2回 年代別の金銭観

李 年古

借金しても友人を食事に招待する文革世代の中国人

中国人の文化大革命世代、つまり今の40代の金銭観がどのように培われてきたのかについては、私の学生時代の体験がもっとも参考になるモデルだろうと確信している。

我々の世代が小学生の頃の思い出で一番印象に残っていることは、学校の呼びかけに応じて、家の財産を寄付して、まとめて「廃品」として「リサイクル店」に持ち込み、金に交換して国に上納することだった。その時に、クラスごとに上納金額を競争させるイベントが繰り返して行われた。

学生らはもとより、我々の親さえ財産がなく、家のドアを開けっ放しにしていても泥棒が入りたがらないような状況だったので、金になる「廃品」など何一つなかった。姉も私も学生だったから、家の「廃品」は二倍のスピードで減っていった。しかも、姉と競おうとして「廃品」の解釈もエスカレータ式に拡大し、最後には父母の目を逃れた金になる物はすべて「廃品」だと決め付けた。金そのものはなくても、金になるものも私財にすべきではなく、学校に寄付すべきだという風潮があった。

ある日、クラスの皆から集まった廃品をリサイクル屋に持ち込んでいた際、クラスメートの一人、知的障害者の陳さんが、鞄から折り畳んだ蚊帳を持ち出して、それを密かに換金した。私はそれを見つけ直ちにその行為を厳しく追及した。しかし彼は、これは自分のものではなく、クラスの担任、国文講師の陳先生から依頼されたものだと自白した。この話を聞くと、幼い子供だった私は大きなショックを受けた。我々にすべての金銭を国のために捧げなさいと説教しておきながら、当の本人は金をポケットに入れようと図っていたのだ。この行為は、私に人間不信をもたらす初めての出来事だった。

先生だからこそ、このような背信行為を決して許してはならないと思った私は、学校に戻ると体中の毛細血管まで正義心でいっぱいにして、すぐに校長室に走り込み、陳先生の背信行為を憤懣して密告した。

数日後、クラスの担任は替わった。
後で他の先生から聞かされた話だが、その担任の先生には4人の子供がいて、旦那さんは病死して、学校で最も貧乏な先生だったという。蚊帳まで売り払ってしまった先生の生活が一体どれほど苦しかったか、容易に想像できる。そこでさらに彼女を追い込んだのが、この私だった。

あの時代に生まれた中国人は、皆貧乏で金銭こそなかったものの、金銭を大事に使ったことを自慢していた。金の有効な使い道といえば、やはり友情を築くために金を使うことが一番理想的な使い方だと言えるかもしれない。我々の時代の人々が毛沢東思想のほかにもっとも大切していたのは、なんと言っても友情関係だった。とくに独身時代の同世代の人は誰もが、一ヶ月の給料のほとんどを友達との食事代に充てた。皆貧乏だったが、友人を招待するのに金を惜しまなかった。お金を借りてでも友人に贅沢な料理を食べさせることが、その時代の金銭観と友人観だったと言えよう。

中国人の金銭観