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第1回 一番大事なのは「開会式」?

岡田 章一

日本の会議というのは一般に、関係者が一同に会して、プロジェクトの報告に始まり、問題点やプロセスの確認…等々がきちんと無駄なく進められ、決定事項をとり纏めるのを旨とする。これに対して、中国の会議は、いちおう議事進行の予定らしきものはあるが、日本人の目からすると、全体に冗長で効率の悪い集い、俗な言葉で言うと「お見合い」や「発表会」に近い集まりの印象を拭えないのだ。中国通で有名な岡田英弘氏(東京外大名誉教授)も近著の「中国、この厄介な国」の中で、「(中国の)会議でいちばん大事なのは、議事ではなく、開会式である」と喝破されている。会議の冒頭にどんな偉い誰が来て何を喋ったかが、その会議に大きな意味を持ち、全体のムードを支配してしまう。このような場に具体的な実務内容を中心とする日本流を差し込むと、ちぐはぐなことになりかねない。その差異を顕著に示す良い例が「議事録」である。日・中会議の議事録は、双方が共同で作るわけだが、中国側の言う通りに作っていくと、要人だけの演説録が出来上がりかねない。場合によっては、その議事録が所轄大臣や国務院のもとにまで回ることもあるのだから、そうなるのも無理はない事情はよく分かる。そして、その黄門様の印籠の如き「威力」のほどが、その後のプロジェクトの進行に影響を及ぼすという点も見逃せないポイントである。そういった背景も知らずに、日本流を通してしまうと、今度は中国人の目には、ごく実務的で格調の低い「会議」をやったとしか映らないことになる。事前に行う実務担当者の会議レベルを出ていないということでもある。一方、中国で開催された会議では、だいたい中国側の色が濃い議事録が出来上がるものだが、これを日本に持ち帰っても、日本側では儀礼的・形式的なものと軽く扱われてしまうことも多い。「会議」を巡る、この双方の認識には大きなギャップがある。

お互いの国では「会議」の持つ意味が違うということをよく心得ておくのが、中国人との話し合いを上手に進めるコツではないか、と感ずることが多い。

中国人との会議