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第17回 桜と龍と豚

岡田 章一

「日本人を花に例えるとすれば、やはり桜の花だよね」。ある時中国人の親友Yさんが私にそう言った。外国人からよく言われることでもあり、私はさほどの感慨もなく、うんと頷いた。それはちょうど数人で賑やかに夕食の卓を囲んでいる時だった。会話の中で私は、これまで当欄で書いてきたように、日本人の持つ「枠」というか、日本人が没個性的になってしまう集団意識の圧力について、いささかの苦言を呈していたのである。

続けてYさんが「なぜだか分かる?」と聞いてきたので、私は、日本人がよく言うように「ぱっと咲いてぱっと散る美学…だろう」と返答した。すると、彼は即座に「いや違うよ」と頭を振り、そして次のように自分の説を展開してきた。「桜の花はその一つ一つの花びらは大したことはない。ごめん、日本人をけなしている訳でなく、あまり迫力を感じさせないという意味だ。( またごめん)。だがひと度まとまると全山これ花。これだよ、日本人パワーというのは」。彼は、日本人に会う度に、日本人の殆どが「団」に埋没する物足りなさをこぼす傾向を示すとも言う。「このように、日本人が同じ反省を語るあたりも、その証明みたいなものだ」。以後いろいろ聞いてみて、彼が言いたかったのは次のようなことだった。すっと集団行動に入れる性向、これは外国人から見るとじつに羨ましい限りなのだ。「中国の言葉に、一人の時は龍、二人以上は豚というのがある。つまり中国人が単独で行動する時は龍の強さを発揮しても、団体になるとまるで豚の集まりになってしまう、との意味。なかなか 1+1 =2 とはならない」。だが日本人は 2以上になれる。私がそうかなと思っていると、「分かりやすい例え話をしよう。どこか外国に観光旅行に行くとする。日本人の場合は最後まで一つの団体で続くが、中国人は参加人数分の団体旅行になってしまうんだ。途中で各自がてんでに好き勝手なことを言い出すからね」。

没個性的だからといって、なにも肩を落とすことはない。他の国民が羨ましがるような、団体への適応能力だと思え、そうYさんは言う。たしかに、我々日本人は自然に身についたこの習性を、時には長所として考えてみるべきなのかも知れない。何も全てが欠点だと思い込むこともないのだと、当たり前のことをYさんから教えられた気持ちがした。

チームワークの強さに加えて、各個人の存在感が加われば、これは大したものである。会議の中で、相手側にこの二種類のパワーを示せれば、成功は約束されたようなものだ。桜と龍、どちらかといえば、たしかに龍が桜になる方が難しいのかも知れない。

中国人との会議