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第7回 「マンネリ会議」

岡田 章一

日本人ビジネスマンの中には、中国人が主催する会議を、「いつも冗長で、何が決まったのかよく分からないことが多い」と批判する人がいる。たしかに種々思い出してみても、彼らの会議には一つのパターンがあるようだ。中国の会議では、始めに定まったように列席する偉い方々のご挨拶がある。それも一つ一つが決して短くはなく、席次どおり、あの人がやればこの人もといった調子で、同じ話題が何度も繰り返される時さえある。これがまず日本人をうんざりさせる要因の一となっている。続いて会議の本題に入っても、そこで何かが決められるというよりは、出席した人物の話をさせる「場」を提供する方に傾きがちだ。その発言の内容も焦点が定まらず、だが口数だけは豊富といった雰囲気で経過することが多い。これを日本人は「形骸化した会議」、「マンネリ会議」と評す。

近来、コスト意識を叩き込まれた日本人の間では、時間を無駄にするなということで、上述の如き非効率な会議は変えねばならないとの気持ちが強い。企業のトップなどがよく会議の簡素化を目標にあげるのもそれである。例えば、会議は立ったまま一時間以内で…とか、資料はA4用紙一枚だけ、発言は3分以内、お茶は出さないといった具合に、半ば強制的に簡素化を推進しようとしている。それでも日本企業の中から会議は減らない。簡単な理屈だが、短くすると今度は逆に会議の数が増えてくるのである。こうした悪循環が「会議漬け」とか「会議大好き」の人間を作り出す。私の経験では、ある午後の会議が終わって「次は一時から」と言われた。それが“午前一時”と分かって驚いたことがある。会議は会議のための会議となり、こちらも自然に形骸化してくるわけだ。「効率的に」マンネリ化しては如何ともしがたい。やはり人間というのは、ある種の合意を得るには、ある段階でそれなりに一同に会することが大切なのである。企業では必要悪とも言えよう。焦点をその効率化に絞る日本の会議と違って、中国人の会議は、内容よりもどのような人物が関係するかが確認できれば十分、といった、構えの違いがあるのではないかと思う。 忙しく会議に会議を重ねる日本人ビジネスマン達は一度、この中国人の会議のやり方を参考にしてみるのはどうだろうか。もちろん中国流の方が正しいと言うつもりはない。だが、中国人の話し合いの中には、人間のコミュニケーションの在り方が示されているようにも思えるからである。人間的な暖かな交流があったという「後味」が残された時は、その会議は成功と感じられるのではないだろうか。中国流と日本流との、ちょうど中間あたりになるのが、会議としては理想的なのかもしれないとよく思うのである。

中国人との会議