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マニュアル文化と心-東京ディズニーランドでの出来事

岡田 章一

先日ちょっと良い話を聞いた。詳しく述べると長くなるので、要点のみを書いてみる。

ある日本人の夫婦の話である。その夫婦は結婚してから長い間子供ができなかったが、
ある時ようやく願いが叶って女の赤ちゃんが生まれた。新しい父親と母親は大喜びで、毎
日が幸せに包まれていた。二人は、一年後の娘の誕生日には近郊の某レストランでお祝い
をしようと決めた。自分たちの出会いにも関係のあった場所だからである。ところが不幸
なことに、一年を待たずにその娘は病気になって他界してしまった。夫婦の嘆きは想像に
余るものがあり、世の中の全てに対し、何をするにも気力が湧かなくなるほどだった。や
がて時間の経過と共に、二人はこんなではいけないと気を取り直した。そして亡き娘の一
才の誕生日が来たら、予定通りそのレストランで祝うことにしようと話し合った。

その日が来て、二人はレストランに出かけていった。店に入っていくと、マネジャーが
二人用の席に案内してくれた。やがてボーイが食事の注文をとりにきた。二人は彼に「子
供用のディナーを注文できますか」ときいた。ボーイはやや戸惑った風で「 9才以下のお
子さまでないと、それはご用意できないのですが」と答えた。二人はそれでも「今日はど
うしてもお子さま用が食べたいのです」と言う。そのボーイはちょっと考え、「それでは
厨房と相談してまいります」と引っこんだ。やがて戻ってきてから、「お子さま用の食事
では大人には分量が足りないようですが」と言う。そして、しばらく間を置いてから、「
大変差し出がましいことを聞くようですが」と続けた。「突然お子さま用のディナーを注
文されて…、お二人には何か特別なご事情でもお有りなのでしょうか。お差し支えなけれ
ば、私どもにお教えいただけますか」。そこで夫婦は初めてその日が亡き娘の誕生日であ
ることを話した。それを聞くや、彼は「はい」と頷き、すぐにどうぞと二人を別な広い席
に案内する。椅子を一つ持ってきて、テーブルにもう一人分の準備をした。「ご希望のお
食事を三人分用意させていただきます」。やがて出てきた三人分のお子さま用ディッシュ
には可愛らしいケーキが添えられてあり、一本の小さなローソクが立ててあった。

以上は衛藤信之氏(心理カウンセラー)から伺った「実話」である。そしてそのレスト
ランは東京ディズニーランド(TDL)の中にある。この話は、TDLがいま日本の娯楽施設の中でも、断トツの躍進を続けていることと無関係ではないことを示唆している。

TDLレストランでの出来事に関して、私が申し上げたいのは次のポイントである。すなわち、その夫婦が奇妙な食事の注文をした時に、まずレストラン側から出た反応は、『子供用は9才以下でないと用意できない』、『大人の分量としては少ない』ということであった。ここまでは通常の「マニュアル」に指示されている対応である。だが担当者のボーイがあえてその垣根を越えて事情を聞き出し、心のこもった機転をきかすことができたところに妙味がある。ありきたりのサービスから、人間味のある領域に踏みこんでいったことが素晴らしいのだ。前述の衛藤信之氏はこう結論づける。「TDLの従業員は全員がキャストと呼ばれ、客と一緒になって、エンターテインメントを『演出』するという意識を持たされている」。だからこそマニュアルの枠を破ることができるのである。

さてここで本来の主題に戻ることにするが、戦後日本の産業技術を伸ばした手段の一つに「効率化」を徹底的に追求することがあった。その点では米国式が全てのお手本となった。マクドナルドの業務マニュアルなどもそのよい例である。同店の従業員たちはきびきびと動き、客が注文した食物は手際よく出されてくる。彼らの動作に無駄がない上に表情や言葉使いにも好印象が持て、規律と統制を示すお手本として高い評価を得た。それらは全てをマニュアル通りにやればよいのだった。やがてこうした形だけの好意や親切がサービス業界では当たり前となり、客の方でもそんなものかと思うようになる。その反面で本物の人情は次第に失われていった。しかし今や人間を機械化して能率と好感度を保つこの手はもう古いものとなっている。昨今どの飲食店に入っても聞かされる「いらっしゃいませ、こんにちわ」のマンネリ挨拶などはもう沢山である。TDLはそういう偽善的なサービスを、従業員の意識の面から改革していこうとしている点で注目されているのだ。

昔の日本人はこうした人情に触れる微妙な対応は自然にできていたものだった。表向きの経済的繁栄はさておき、戦後の日本で米国の文化がもてはやされてから、日本人の感性や情操面がだいぶおかしくなってきた。そしていま、多くの人口を抱える中国が先進諸国の種々の「効率」的な手法を学んでいる。中国の人々には、TDLが一人勝ちと言われる勢いで業績を伸ばしている内容をよく見ておいてほしい。それもノウハウとしてではなく、その底にある深い人間的な意味を。人治の国、人間関係を重んずる国の人々に期待したいのは、産業の発展のためにマニュアル漬けにはなるな、こういう点なのである。