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中国人の「サービス」って何だろう-あるホテルでの1日

岡田 章一

中国人のサービスというものを考えてみるに、その「原点」とは一体どんなものだったのだろうか。ここで十年前に書かれたある紀行文を紹介してみたい。やや長くなるが、これも一方の側にあった実話なのである。

北京K飯店に泊まることができた人は幸運だと思わなくてはいけない。何しろ中国の首都北京にある「国営」の大ホテルだからである。長安街という目抜きの大通りに面しており、そこには故宮、天安門、人民大会堂といった有名な建造物から、政府幹部の住む中南海地域をはじめ、北京飯店、王府飯店、貴賓楼といった大ホテル群がずらりと顔を並べている。文句のつけようのない超一流なのだ。そのホテルの建物自体もスペースを十分にとった半円形で、威風堂々、屋根には五星紅旗が翻り、荘厳かつ優美、前庭にある東洋風の池水と四季折々の花々とが宿泊客を出迎えてくれる。

入口を入って行くと、まず受付に人がいない。きょろきょろと探していると、カウンターの隅で屈んで用事をしていた女性の服務員が、なんでこの忙しい時にやって来るのか、といった顔つきで受付台に戻ってくる。確かに自分が仕事に没頭していて、ノリかけた時に邪魔されるくらい不愉快なことはあるまい。きっと素朴で正直な人柄なのだと思う。ちなみに中国語で「服務」とはサービスの意味である。チェックインしてから、男の服務員つまりボーイが荷物を部屋まで運んでくれるが、私が先きに部屋で待っていてもなかなか持ってこない。何しろここは超一流のホテルなのだから、きっと要人の宿泊客が大勢いるために忙しくて仕方がないのだろう。荷物が来ないとやることがない。ぼおっとしていると、やっと届いた。彼は電気やTVの付け方、冷蔵庫の使用方法やカーテンの開け方やら、懇切丁寧な指導に熱心で何だかんだと出て行かない。ふと気が付いて10元札を差し出すと、それを手にさっと消え去った。ここの服務員はみな公務員つまりお役人たちだから、こういうのは実に素早いのだ。やっと顔を洗ってタオルを手に取ると、ごわごわとした洗い古しのようである。痛い。顔面を二度も往復させると血がにじんできそうだ。まぁよく考えてみると、これを使えば、十分な乾布摩擦ができるわけだから、そう捨てたものではあるまい。このホテルはお客様の健康管理をここまで細かく配慮している上に、同時に、物を粗末にせず、使える限り使うことを教えてくれているわけでもある。

こんな具合なので早くも疲労感と空腹感とを覚え、地下のレストランに下りていく。そこではなかなか注文を取りにこない。ウェイトレスの小姐(シャオジェ) たちは何かの議論に夢中である。こうしてしばらく客を空腹のまヽにしておけば、ますます料理が美味しく感じられてくるわけだから、ひょっとしたらこれが本当のサービスなのかも知れない。いよいよ感心してしまう。なんとか食事を終えて、ドルを換金しようと、両替所に行った。そこではなぜか行列ができている。ちょうど到着したばかりの外国人客が殺到して、人民元のお札が品切れになったらしい。奥に取りに行っているというが、なかなか帰ってこない。はるか遠くの人民銀行本店にまで行っているのだろうか。そう言えば最近は現金を大量に置いておくとはなはだ物騒なのである。強盗などの犯罪を誘発するからだ。それに客が巻き込まれないようにするためにも、少量しか置かないのは適切な処置なのだろう。ついでに言うと、ここは古い伝統の国営ホテルである以上、きっと各部屋ごとに盗聴や監視の装置も「完備」されているだろうから、セキュリティは太鼓判のはずだ。強盗も売春婦も入り込みようがないという、じつに健全かつ安全なホテルなのだ。やっとお金を換えられたので、ホテル内のショップでお土産に小物類を買ったら、お釣りをぽいと投げてよこした。口ではいちおう「謝々」と言っていたから、こちらをお客としての認識はあったらしい。こんなことで怒ってはいけない。ここで我々は、世界共通の「お役人」というものの本質を学ぶことができるからだ。いくら働いても自分たちの貰う給料は同じ…このようなシステムでは、お客様には感謝の気持を示せと言っても、どだい無理な話である。だから、彼らはごく率直な応対をしているにすぎないのだ。かくして、この国の社会の仕組みが人間にもたらす影響を、実地に見学することができるわけである。

翌朝になって、洗面所で歯を磨いていると、いきなりメイドの小姐が部屋に押し入ってこようとした。「DO NOT DISTURB」をドアに掛けておいたのに、お構いなしである。朝から仕事は計画的に効率よくやらなければならない、と言われているからであろう。国営の超一流ホテルともなると、「泊めて頂いた」方からは文句は言えないのである。荷物をボーイに運んでもらおうと電話をしても来ない。仕方がないから自分でごろごろと引きずって下りていく。お客様の運動不足を解消することと、その自主性を養わせる愛の笞なのに違いないと思う。凡人にはなかなか考えつかない配慮である。

最後にもう一つ感激することが待っている。それは宿泊料金が高いこと。特に外国人向けのそれは超一流であることだ。本国に帰ってから、その金額とホテルの所在地とを見せれば、誰でも間違いなく、その人物が素晴らしい場所で賓客として遇されたことを察知してくれるであろう。本当に最後まで行き届いている。といったように、このホテルは「中国」が詰めこまれた缶詰と言うか、ひと晩で中国の何たるかが勉強できる博物館とでも言えようか。この国の旅をこの飯店からスタートするようにすれば、心の準備も自然にでき、じつに賢明な方法ということになるだろうと考えた。従って、冒頭の繰り返しになるが、「北京K飯店」に‘泊められた’人は、本当に幸運だと思わなくてはいけない。(以上は今から数年も前のお話しである。その後当ホテルの「服務」がどのような変質を遂げたかは、二度とそこにお泊まりになった方がいないので、いまだに分からない) 。

長々とご紹介したが、当「紀行文」を書いたのは他ならぬ私である。いずれも実際に起こった事実ばかりであるが、一日の出来事としてまとめたので多少デフォルメされた感もある。私があえてこの文章を出したのは、中国のサービスの後進性を読者に面白がってもらうためではない。東京ディズニーランド(TDL)での話と中国のホテル事情とを並べ、二つのケースの比較ができるようにしてみた。その中で、各々が両極端の側にある点に気づいてほしいのである。TDLは米国産の偽善的な「マニュアル」テクニックから、本物の「心から」のサービスに脱却しようとしており、中国のホテルの方は(サービスという点では)まだ「原石」の段階にある。人間を徹底的にマニュアル化して効率と好感度を上げるべきか、あるいはあくまで人間的な部分はそのまま残しておくべきか。現代ビジネスが直面する問題が浮かび上がってくる。ここで我々は、サービスを受ける客の方にも反省の余地があることを忘れてはいけない。快い接客態度が当然になってくると、ある程度のお芝居をしないと、客の方がつい「サービスが悪い」との評価を下す傾向が見られるからだ。

今年の1月6日に中国の人口が13億人に達したとの公式表明があった。この人口はざっと世界の1/5 で、間違いなく人類のマジョーリティである。だから、どうか中国人はマニュアルなどに汚染されることなく、その流儀を通してほしいのだ。中国発の、無愛想だ
がどこか人情味のある、本物の「親切」を世界中に広めてもらいたいと思う。