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中国民間企業とのビジネス交渉でのチェックポイント

李 年古

相手の会社のしっかりとした信頼調査が必要

専門技術の知識や市場に関しては無知に近いため、オーナーには、無茶な冒険精神が溢れ自信過剰なタイプが多い。そこで、このような危険な相手をビジネス・パートナーとして選ぶ場合には、そのプロジェクトの実行可能性、収益性や市場の規模などについて、予め独自の調査を実施しておくべきである。

私営企業の大きな問題点の一つは、国有企業と違って、社会的な監視や法的監視がかなりルーズで逃げ道が多いために、会社の経営状況に不透明な部分が多い点にある。たとえば、会社の株主とその持分の分布、実際の資産総額、負債の状況など、表のデータと実際のデータではかなりかけ離れているケースが結構ある。

「世の中でできないことはない。ただ思いつかなかっただけ」という自信過剰に要注意
一部の私営企業が作り上げられた社会的イメージを、外国の企業がそのまま信用の参考指標にすることも落とし穴となる可能性がある。マスコミ情報や社会的な知名度だけを相手の信用の判断材料とするのは、非常に危険なことだと思っていてよい。最近の市場経済の流れの中で、特に経済的な成功者の中国人はつねにマスコミの標的となり、一般市民の憧れの対象となり、新聞や雑誌の記事に頻繁に登場することになるが、だいたいこのような情報は信頼性が低い。さらに私営企業の経営者たちは、意図的にマスコミを操作するため、金で取り巻きの御用聞きを買収しては、現実とは大きくかけ離れた企業イメージを先行させるケースが少なくない。

私営企業の盛衰を一つの社会現象としてとらえ、ある学者は私営企業の創業者たちには“巨人症”が伝染していると揶揄している。つまり、自分の実力を過大評価し、いきなり大手企業を目指すような伝染病に罹っているという意味だ。とくに短期間に奇跡的な成長を遂げてきた私営企業の場合は要注意である。なかにはその勢いを保ち続ける企業もあるのだが、一般には一定に成長期を経て、経営を軌道に乗せてきた企業を選んだ方が安全であることはいうまでもない。相手側となる日本企業にとっては、新規市場の開発にあたり、独自の事前調査がいっそう必要になるわけだ。

商人タイプと職人タイプの違いをよく心得ておく

「商人タイプ」の社長というのが、急成長をとげた私営企業の起業家ではよくみられる典型である。彼らの多くは物を作るよりも物を売ることに興味と能力がある。一般に物作りにたけている「職人タイプ」の経営者は、製造分野の一つの製品に財力と技術を集中して、長い時間をかけてよりよい物作りに専念することが多い。製品の完成度を高め、バージョンアップをはかろうとする執念をみせる。

これに対して商人タイプの経営者は、むしろその逆の発想で、自分の力を、つねに儲けられる分野、収益性の高い分野に注いで次から次へとかわっていく。一点集中ではなく、発散的な思考様式をもち、長期的な収益よりも、短期的に爆発的な儲けを得ることに心血をそそぐ。

勘とセンスによるワンマン社長の決断には要注意

私営企業ではあたり前のことなのだが、オーナーがワンマン社長であるために、彼が会社のすべてに対して独断的かつ絶対的な決定権をもつケースが多い。したがって、外国企業が交渉するときの相手としては、その社長の個人的な資質が事の成否に決定的な要因となる。一般論からいうと、彼らは優れたビジネスセンスと決断力をもつだけに、交渉にあたっては結構効率的に合意にいたることが可能である。

その一方で、これまでにも繰り返し述べてきたことだが、そうしたかれらの経営的決断というのは、個人のビジネスセンスや運にかけている面がかなり強い。しかもここ数年で市場経済の勢いに乗って成長してきた創業者であるために、冒険心と野心が日本人の想像以上に旺盛である。

こうした私営企業の社長に決定権が集中されている体制を考えると、ビジネス・パートナーとしては、やはり慎重さを崩すことはできない。つまり、相手の社長個人に関して、その経営的な素質や専門技術の有無や、市場情報をどのくらい把握しているのか、などについて慎重に見極めておく必要がある。

権力と絡みやすい企業体質の落とし穴

私営企業は国有企業のように政府の政策面のサポートが少ないが、かわりに社会的監視機能から逃れやすい体質がある。このメリットを生かすため、あるいは生まれつきの弱点を補うため、経営者はとくに政府の上層部の権力者との個人的な人脈づくりに力を入れようとする。いわゆる「保護の傘」を求めるのである。そのときに用いる手段としては、いうまでもなく、接待や賄賂などで権力者を買収することである。一方、一部の政治権力をもつ高官や、監視機能を果たす立場にある官吏らも、こうした私営企業の内部的な監視機能の弱さと社会的な監視機能の弱い点に目をつけ、私営企業との権力と金銭との交易を喜んでやる。