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第8回 通訳者 会議の雰囲気を作り出す

岡田 章一

一般に「会議がうまくいった」と感じられるのは、そこに温かい人間的な交流があった時が多い、というのが前回の主旨であった。そしてこの傾向はとくに中国人との会議に当てはまるように思われる。では、その中国人との会議で、良い「後味」の残る会議とはどのようなものだろうか。もちろん第一に議事内容がうまく纏まることが大切なのだが、それ以上に、お互いの話がスムースに行き来し、双方から談論が活発に出て、楽しい会話ができたという時が、まさにそれであろうと思う。後から思い出してみても、その会議で何と何が決定されたということよりは、誰々がどんな発言をして、その話に皆が感心したり大笑いしたといったような印象の方が強く残っているものだ。だいたい中国人との会議の場合には、こみ入った細かな討議事項は、事前の担当レベルの会議で纏められていることが多く、大きな会議の場で喧々諤々とやることはまずない。それというのも、混乱した雰囲気の下では、上位の幹部が出席する本会議自体を開催することは殆どないからだ。

さて、会議の雰囲気を作り出す要素の中で、私たちが見落としがちなことが一つある。それは通訳者が果たしている重要な役割だ。日本人の殆どはまだ中国語を英語ほど流暢に操って会議を進められる人は少ない。従って通訳者の存在は不可欠なものであり、それに頼る部分が非常に大きいことは言うまでもない。どのような会議においても、彼らはあくまで間接的な「黒子」であるが、言語の異なる者どうしの会議で、相手側の「理解できる」発言は通訳者の声であり話しぶりなのである。それは会議のムードを左右するほどの大きな影響力を持っている。通訳者の介在は分かってはいるが、一般に人間は、会話が快いかそうでないかは、入ってくる言葉のそれで潜在心理の下、本能的な評価を下すものだ。このことは、とくに対話の「味わい」を重視する中国人との会議では重要である。その意味から、通訳者の役割で大切なのは、とにかく会話の流れを崩さないことに尽きる。逐一正確を期して会話のフィーリングを損なってしまってはだめなのだ。正確無比だがぎすぎすした通訳は、中国人との会議では、細部を詰める技術会議以外は避けるべきであろう。良い「後味」が残るかどうかは、一にここに懸かっている。たしかに通訳者の技量にはぴんからきりまであり、その通訳内容の質はその時々であるが、上手な通訳というのは共通して、長い発言でも要領良く纏め、決して会話のリズムを崩さない。一方発言者の方になるが、中国人との会議で良い「味」を出すためには、いつも「自分の声」であるその通訳者が気持ち良く働けるように、心配りをすることが大切なのだと思う。

中国人との会議