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第2回 なぜお互いに不信感を抱くのだろうか

李 年古

これは「日本人は本音で中国人を信じていない」という意味で受け取れるはずだが、それよりも「日本人を信じるもんか」という心理の表れとも受け取ることができる。一般の中国人で、日本人との接触やコミュニケーションが余りない人なら、このように言われても仕方がないと思うが、彼らはまさに日本人と長い付き合いがあって、中には日本で留学や就労した経験を持つ正真正名な知日派のはずだ。なのに、なぜこんな印象、いや結論を下すのか。私は、なぜそう思うのかと尋ねると、皆先を争って答えてくれる。

私は今も、上海で日本企業の管理者を対象に行った研修の一幕が忘れられない。研修が始まったばかりの時だ。いつものように一日のスケジュールを確認していると、上海人の男性が荒い口調で聞いてきた。「他の話は別にして、まず我々に日本人をどうあしらうべきか教えてください」。

「何か、日本人上司とうまくいっていないのですか」と私は尋ねた。この言葉を聞くと、会場はまるで三峡ダムの水門を開けたみたいに爆発し、収拾がつかなくなった。数人の人は、審判会を始めろうと裁判官の指示を受けたみたい。

私は日系企業の中国人の普遍的な不満を百も承知しているつもりだった。しかし、この研修に参加しているのは日本人上司から選ばれた信頼できるリーダーである。彼らまでこうした不満を抱いていることに大きなショックを受けた。

私は中国人向けの研修では、いつも危険にさらされているような緊張感を覚える。日本人を語るときに、参加者の間には日本人に対する反感が漂っている。これは本当の日本人を理解する際、偏見を招く恐れがあるため、トレーナーとして、それは何としても阻止しなければならない。しかし、日本人のことを代弁するのは非常に危険な行為である。揺るがない事実がないかぎり、彼らの不信感を増幅させることになるからだ。

彼らの体験した「日本人」は、私が日本で接した日本人の常識をひっくり返すものであった。ある参加者はこう言った。「先生、あなたが知っている日本人は日本の日本人だ。中国にいる日本人とは違います」。

もちろん、まったく違った日本人のイメージを語ってくれる研修参加者もいる。しかし、彼が堂々と発言できる雰囲気ではないため、そうした話は大抵、休憩の時に私に近づいて語られる。「私の上司は違います。非常にいい日本人です。李先生が教えている日本人は事実ですわ」と言う。まるで落胆した私を慰めるような口調だ。

中国人の対日観