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第13回 「『何を』よりも『誰と』を知るべし」

岡田 章一

H氏の話しは続く。「我々はA司長(局長)との会談のムードをもっと良くしたいと考えていた。そこで関係者が集まり、飲み屋で作戦会議のようなものを開いた」。通常の堅苦しい会議とは違って、ジョッキを片手のブレイン・ストーミングは、各自の舌を滑らかにさせて、談論風発、なかなか楽しい会議だった。「作戦会議だ?そんな大ゲサな」と言う者もいたが、実際にやってみて、中国人との会談を持続させるには、こういうノウハウの蓄積が非常に大切だということが徐々に分かってきた。それまでの我々日本人は、会議の内容のことばかりで、このようなソフト面のことを真剣に話し合ったことがあっただろうか、との反省も浮かぶ。前述の日本語通訳B氏の話が出たのも、この時であった。

A司長については、彼の出身地、党員活動や仕事のキャリアの外に、その人柄、性癖や趣味、家族、日本人との接触経験などの情報が全員の前で交換された。そこで衆目一致の事実として次のことが挙がった。「A氏は話好きな中国人の中でも饒舌家で、故郷の浙江省の自慢話が得意。その話術が極めて巧みだから、話題への導入がうまくて、こちらもつい引き込まれてしまう。会談が終わってみると、仕事上の会談としては殆ど無駄話に終始したことに気付くのだ」。このように問題点が明らかになれば、あとは対策をどうするかに絞られてくる。そこでまた次のような対策が結論となった。A司長との会談の前に、予め要点のリストを作成し、全員それを手にして会議に臨む。「これだけは話すぞ」との決意表明のメモだ。そしてA氏の話相手をしながらも、合間にそれらはきちんと伝え、できたら同氏の反応やコメントを取る。ただし議事録などは不要。中国では要人の発言は書類などにする必要はないのである。こちらには、後々に他の会議などでそれが活用できるかもしれない、との計算があり、それらを都合良く引用するために取っておくわけだ。このように要人には会見の時に然るべきコメントを言わせておくことが、後で役に立つことが多い。H氏たちは、その後も各方面の政府要人たちと会談をする機会があったが、このことをきっかけに、毎回この方法で「相手」に関する勉強と準備をした。こうした努力の積み重ねの中で、中国人との会談では、ソフトな分野での配慮や準備が非常に大切なのだと分かったという。だがそれもあまりに技巧的にやり過ぎると、中国人には見抜かれてしまう。あくまで人間同士の自然な付き合いという本線を外してはいけないのだ。

このように、中国人との会談は、「何を」話しあうかというよりは、まず「誰と」話をするか、を知ることが肝要ではないかと思う。これも人治の国たる所以であろう。

中国人との会議