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第15回 日本人どうしの「場」を飛び出せ

岡田 章一

中国にいたころの体験である。朝、勤務先に出て中国人と顔を合わせた時に、「おはよう。今日は暑いね」と挨拶をしたとする。だがそんな場合、相手は知らん顔をしているか、あるいは「私は暑くありません」といった答えが返ってくることがあった。その度に私はちょっと鼻白む気分にさせられたものである。もちろん別に中国人の方に悪意がある訳ではない。まずそういう挨拶をまめに交わす習慣がないことと、後者は単に「暑いかね?」との質問に答えたということに過ぎないのだ。きっと (自分の故郷ではもっと暑いよ)といった意味合いもあるのだろう。以上のことは簡単なやりとりのようだが、ある見落とせない要素が含まれていると思う。日本人どうしでは、暑かろうとなかろうと、まずは「暑いですね」と軽く同意を示して、一種の共通の「場」を作るのが常識の感覚である。とくに深い意味はなく、仲間どうしが同じ「場」を共有することを確かめてから、次のステップに移るという図式なのだ。これは日本人の特徴点の一つと言えるかもしれない。

今回この話を持ち出したのは、この習性が中国人との会議にも顔を出すことがあるからだ。たとえば日本人が会議で相手の質問に対して答える場合などに、「前向きに善処します」と言うのなどはその典型である。中国人との会議では、こうした国会議員が弄ぶような、玉虫色の逃げ発言は落第と思わなければいけない。これらはあくまで仲間の日本人の耳を意識した言い方だからだ。会議後日本に帰国しても、自分の発言を仲間うちでプロテクトする姿勢が丸見えなのだ。また焦点をぼやかすために、殊更に日本語の難しいのを持ち出すケースもある。「いかがなものか、と存じますが」。「そこをなんとかしてほしい」などは、中国に限らず国際会議の場で使う言語ではない。日本人どうしの狭い「場」だけで交わすぼやかし言葉なのである。これでは通訳は「……」となってしまう。そのほかでは、日本人は会話を仲間うちの空気に合わせて、自分たちだけに通ずる冗談めかしをしては、くすくすと笑い、通訳を混乱させたりする不愉快な場面も少なからず経験した。

対話の当の相手をしっかりと目の前に見据えて、言葉はじかに通じないまでも、その顔に向かって話しかけていくこと。反対に自分の仲間たちを意識した話し方は、その声の調子にも迫力がないから、相手方の耳を十分に開かせはしないだろう。まして通訳を通しての会話では、もっと言葉の力を失っているものなのだ。まずは自分自身が仲間の「場」を飛び出していき、その勢いで「相手との対話」に集中したいものである。

中国人との会議