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第9回 通訳術というテクニック

岡田 章一

北京の人民大会堂でのことである。それは日中両国あわせて約 500名という、大きな会議というよりは友好交歓の会だった。冒頭に中国側の要人から歓迎のスピーチがあり、続いて日本から来た代表者の挨拶となった。彼は中国側に対してまず「貴国4000年の歴史の中で…」と話し始めた。これを聞いて私や関係者はしまったと思ったのである。日本人は一般に「中国4000年」という言葉をよく使うが、これを聞いて顔をしかめる中国人もいるからだ。この挨拶の原稿を事前にチェックしておくべきだったがもう遅い。ところが、そんな感じで私たちが固唾を呑んでいると、中国人の通訳者は「中国6000年の歴史」とさらりと中国語に通訳したので、またぞろ驚いてしまった。この通訳者は中国政府の公式通訳官で、重要な会議にはよく出てくるベテランだ。言い間違えるはずはない。

この一件が印象に残っていたので、私は夜のパーティで彼をつかまえてきいてみた。彼は「ああ、あのことですか」と、まず言ってから次のように続けた。「なぜか日本人は申し合わせたように中国4000年と言うようですね。だが中国人の中には、我が国の歴史はもっと古いはずだとのこだわりから悪意を覚える人もいるんですよ。ですから私は日本人の口から中国4000年が出てくると、無難に6000年と言い変えるのです」。そして次のように言った。「まぁ、歴史学者の学会でもないし、あの場ではお互いに気分良く意思が通じればよい。気をきかせた一種の意訳ですね」。彼はそう言ってにやりと笑った。

こうしてみると、彼が「意訳」をしたのは、どうもそれが初めてではないようである。いかにも中国人らしいなぁと私は感ぜざるを得なかった。あれだけ大勢の前で堂々と内容の改ざんをやるとは、いい加減もいいところだ。通訳の本分を忘れた振る舞いである。

私がそう考えて黙っていると、彼はさらに付け加えた。対話を重視する中国人との会議では、その流れを乱さないためにも、時にはこうした「微調整」が必要なのですよ…と。

ふと、私は自分の考え方は日本人的すぎるのかなと思った。ひょっとすると、少なくとも中国では、こういうやり方は通訳術というテクニックの範囲に入ることなのかも知れない。そう思うと、人治の国における対話の本質を熟知した、通訳の専門家が持つ感覚の土壌が興味深いものに感ぜられた。ウソも方便。彼の言い分を、現地の空気の中で聞いていると、なるほどそうなのかなと思えてくるのが、これまた不思議であった。

〔注〕…ついでだが、日本人がよく中国4000年と言うのは、どうもS社の烏龍茶のCMで「中国4000年悠久の流れ」がTVで盛んに流された影響らしいと聞く。

中国人との会議