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最後の「人民公社」

最後の「人民公社」 富裕への実践 上

 河北省晋州市の周家庄郷は、現在現存している唯一の「人民公社」だ。労働集
約型工業によって計画経済時代の社会体系を支えてきたが、今後の方向性が大き
な課題となっている。
〈ポイント〉
 周家庄人民公社が1962年から始まってから現在までで44年間になるが、多くの
社員は依然として集団計画経済の生活に依存しており、労働点数で食糧を分けて
いる。集中耕作、統一分配が周家庄の主要な労働の形態である。
 全国の農民1人当たりの平均収入は3255元であるが、労働集約型工業の発展に
より、周家庄の昨年1人当たりの純収入は5000数元である。
 統計データでは、この「人民公社」は依然として一定の活力を持っている。し
かし、郷党委員会の雷宗奎書記は、集団経済は積極性に欠けていると感じている。
 世界的な市場経済の発展が進む潮流の中、「人民公社」は計画経済時代の産物
であり、今後どうするのかが依然として大きな課題となっている。
 早朝6時、梁建中さんは隊本部のスピーカーの前に立って、手でマイクをたた
いて、毎日お知らせの放送をする。「今日は男性の皆さんは南東部の大根を抜き
ます。以下の人は行ってください。建民さん、造順さん、書繊さん……」
 梁建中さんの生活にはこれまで自由な労働というものはなかった。「隊での労
働は私が組織し、手配しています」彼は河北省晋州市周家庄郷の第4生産隊の隊
長を務めている。
 周家庄は中国で現在唯一残っている人民公社制度の郷鎮である。その他の地区
は24年前に各家庭に田を分配し、新しい制度へと転換している。周家庄の土地、
労働力は依然として集団所有制を堅持している。「労働点数」「食糧」、これら
の計画経済時代の歴史用語が、周家庄では依然として社員たちの生活の一部にな
っているのである。
 2005年の経済的データから見ると、周家郷の人民公社は依然として活力があり、
1人当たりでの財政貢献度は河北市トップである。この郷の農民1人当たりの純収
入は5018元で、晋州市の農民の1人当たり平均収入より多い。
 周家庄党委員会の雷宗奎書記は、集団経済が強大になる方法を模索していると
いう。雷書記によると、集団経済には活力があるのだが、「重要なポイントは社
員の労働に対する積極性を高めることにある」
〈自由のない労働点数制での労働〉
 8月31日の夕方、周家庄第4隊の張順さんは、大きな鋤などを担いで白菜畑で同
じ隊の隊員とおしゃべりをしていた。白菜を女性たちが収穫するのを待って、彼
はその他の数人の人と野菜畑の土地をならすのである。
 「ここでは、自分が何をするのかを決めることができません。隊長がやれとい
えばそのとおりやるだけです」
 張順さんは、隊長が野菜畑をならせといえば、目の前にある唐辛子を収穫した
くても収穫してはいけないのだ。そうしないと労働点数が減点される。彼は既に
なれたのだと言う。「やりたいと思ったことができるわけではないのです」
 「労働に対する要求もとても細かいのです」と張順さんは言う。
 例えば、新しい土地を耕すときは、深さは4寸以上で、水平でなければならな
い。1ムーをこのとおりに耕し終わると張順さんに0.24の労働点数が加算される。
比較的自宅に近い場合は0.22しかもらえない。
 周家庄ではすべての労働が労働点数を基準に計算されるので、門番、トラクタ
ーの修理、運転手、さらには郷長や隊長の仕事まで、年末になると労働点数によ
ってすべて計算され、所得分配が行われる。
 周家庄郷では、労働それぞれが372項目に細分化されており、すべての労働部
門の労動量と労働点数が一目でわかるようになっている。そして、仕事に対する
具体的な規定もすべてつくられている。
 毎回仕事に行く前に、隊の会計に記帳し、年末に年間労働点数の計算をする。
その年の隊全体での総収入から合作社1年間の支出である生産コスト、水、電気、
食費、集団公共積立金などを除いて、労働点数を1点が幾らになるのかを計算する。
 4隊の昨年の農業労働点数は1点が平均35.5元で、社員の張順さんは1年間で340
点の労働点数があったので、純収入は1万1000元強あった。
 集団所有制度では、すべてが隊長の手配で決まる。隊長は生産隊の権力の中枢
であり、毎年春にその年の生産計画を決め、ほとんどすべてを隊長1人で手配す
るため、合作社で大きな変更が行われることはない。
 「どこで何をつくるということまで私一人でするのでナーバスになっているの
です」と梁建中さんは言う。「隊の社員代表や労働監督員もすべて私の指定した
人で、一般的には真剣に働き、責任感のある人を選びます」
 郷党委員会の雷宗奎書記によると、生産隊長は村長ではないが、多くの行政機
能を果たしている。生産隊長は組織が選ぶのだが、管理能力があり、生産のすべ
てを理解していて、技術があり、仕事の振り分けがよくわかっている人がやるべ
きだという。
 梁建中さんは既に連続22年間隊長を務めている。周家庄には全部で10隊あり、
周家庄の農業・工業・商業の合作社が管理している。協同組合の韓建主任ははっ
きりと言う。「隊長はみんな20年前に任命されていて、この数年に一部不適任な
隊長に対して調整が行われましたが、選挙制を採用したことはありません」
〈雷金河さんが人民公社をどうにか存続させた〉
 雷金河さんにとっては、この人民公社は心のよりどころであった。それは、1982
年に雷金河さんが強く存続の意志を示したため、人民公社は今なお続いているか
らだ。
 周家庄のきめ細かい労働点数を最初に制定したのは雷金河さんである。2001年
に亡くなるまで、雷さんはずっと周家庄の中心人物であった。雷さんの強い意思
のために、この人民公社は1982年に消えることなく、全国のような家庭を単位と
する請負制にならなかったのである。
 1953年に雷金河さんを初めとする指導グループが「どれだけ働いたかによる点
数制」という規定を制定した。そのときに全国の他の人民公社とは全く異なった
詳細な「ノルマの管理」を始めたのである。1954年に周家庄の人民公社の労働量
は1953年に比べて52%増加している。
 このため、雷金河さんは国家の指導者の接見を受け、そして典型的な「冀中一
傑」としてその称号を受けた。
 1978年に、雷金河さんは綿花に巨大な国家需要があることに気がつき、すべて
の人民公社の食糧生産を減らし、綿花栽培をふやした。そのため周家庄では1980
年度の綿生産高は1978に比べて4.8倍にまで増加した。
 1979年末には、周家庄は文革時の18万元の債務を完済しただけではなく、集団
で161万元の余剰金があった。国家指導者は再度周家庄へ視察に訪れている。
 現在でも周家庄の社員は雷金河さんに対して説明できないある種の感情をまだ
持っている。
 今の党委員会の雷宗奎書記は雷金河さんの孫である。彼は祖父が集団経済に対
して持っていた感情がよくわかっている。
 1982年には、農業家庭による生産請負制が既に農村の主要な生産形式となって
いた。周家庄もこれについて熱心に協議した。
 「みんなは集団経済が比較的よいということはわかっていました。会議をして
土地を分け与えるかどうかを討論したとき、1、2軒を除く他の社員はすべて土地
を分けることに反対でした」劉建中さんは66歳になるが、その時の討論大会に参
加していたという。
 しかし、民意はやはり各方面の圧力を受けた。ある社員によると、河北省は県
委員会の書記に、周家庄の土地を分けることをその書記の任命時に任務として命
じたが、中央が「しばらく観察する」ことを認めたのだと言う。
 河北省社会科学院農村所の劉増玉研究員は、何度も雷金河さんと会ったことが
ある。聞くところによると雷金河さんは、当時河北省長に「もし1年やってみて、
他の人民公社より成績が悪かったら、土地を分配します」と言ったという。
 こうして、周家庄の人民公社はどうにか保存されたのである。
(次号に続く)
〔新京報9月19日〕
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