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電子マガジン・中国最新情報
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教育・文化ウオッチ@中国最新情報 No.791 2023年3月5週号
発行:《中国最新情報》編集部 http://www.bizchina.jp/
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━【目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏【特集:若者が子供を持ちたがらない4つの現実的理由】
●人口警報 若者が子供を持ちたがらない4つの現実的理由

┏【李年古の日中異文化交流術】
●短編小説「私たちは実家で年を越した」 9

┏【国際】
●1400年以上も前に外国人が晋陽に埋葬された理由

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……【特集:若者が子供を持ちたがらない4つの現実的理由】………………………
●人口警報 若者が子供を持ちたがらない4つの現実的理由
 中国社会科学院世界社会保障研究センターの鄭秉文主任は、2022年清華五道口グ
ローバル金融フォーラムでスピーチを行った際、中国は今年、人口がマイナス成長
するかもしれず、今が年金を設立するのに最も有利な空白期間であると率直に指摘
した。
 鄭冰文主任のこの発言は、メディアに報道されるや否や、ネットユーザーの注目
を広く集めることになった。もちろん、誰もが注目したのは、今が年金を設立する
のに最も有利な空白期間であるかどうかという話ではなく、中国は今年、人口がマ
イナス成長するかもしれないという話である。

 国家統計局のデータによると、2021年の中国の出生人口はわずか1062万人であり、
2020年の1200万人と比較して138万人減少し、出生率はさらに7.52‰に低下した。
さらに特筆すべきは、2021年の中国出生人口が「飢饉の年」である1960年に比べて
も340万人減少したことである。

 そこで問題であるが、最近の若者はなぜ子供を持ちたがらないのだろうか。筆者
は、「4つの理由」が非常に現実的であると考えている。

 まず、出産概念の変化である。
 古い世代は「子が多ければ福多し」と「大家族」という伝統的な家族の概念を信
じているが、今日の若者は、自身を中心に個人を表現することを最大の価値として
好む。古い世代の伝統的な家族の概念は既にほとんど見放されている。
 関係団体のデータによると、90後の75%以上が、子供は最も多くて1人と回答して
いる。つまり、大多数の90後の出産概念において、子供を産むことは、子々孫々に
伝えるという任務を完了するためだけのもので、たくさん子供を産むという伝統的
な家族概念は全く存在しない。
 若者の一部は子供をつくらない共働き夫婦になることを選んで、1人も産むこと
を望まず、多くの若者はそれが当たり前だと思っている。

 次に、住宅価格の高騰の影響である。
 結婚や子供の教育が住宅と連動する現代において、住宅価格の高騰は既に出生率
向上の最大の障害となっている。
 国家統計局のデータによると、2021年までに、中国の平均住宅価格は1平方メー
トル当たり1万139元に達し、1998年の分譲住宅改革初頭と比較すると、平均住宅価
格の値上がり幅は5倍余となっている。人口が集中して経済が発展している一線、
二線都市では、住宅価格が10倍から20倍に達し、コア地域では30倍以上のところも
ある。
 つまり、今日では、ほとんどの都市で、家を購入するために100万元以上、さら
には数百万元を費やすことが一般的な現象になっている。このような住宅価格を背
景に、自分たちの住宅ローンの圧力と、子供たちに家を購入するという将来を見越
した圧力という二重の圧力のもとで、何人の若いカップルがあえて子供をもうける
ことができるだろうか。

 そして、子育てにかかる費用も高額である。
 一部の専門家によると、中国で1人の子供を育てるのに、0歳から17歳までの平均
養育費用は48万5000元で、韓国に次いで世界第2位である。
 2018年に関係機関が発表した「中国の家長の教育不安指数調査報告書」によると、
中国の48%の家庭では教育費が40%以上を占めている。子供を1人育てるのにかかる
経済的コストは、一線、二線都市で家を買うのと変わらないと言っても過言ではない。

 最後は、子供を産んでも育てる人がいないという問題である。
 高齢者に育てさせるのは心配で、若者自身にも育てる時間はなく、夫婦のどちら
かがフルタイムで子供の世話をするとしても、住宅ローン、車のローン、生活費が
もう一人の負担になる。破綻するかしないかは一旦置くとしても、家計の負担はや
はり一番の問題である。〔大川説楼市2022年8月9日〕
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……【李年古の日中異文化交流術】……………………………………………………
●短編小説「私たちは実家で年を越した」 9
(前号より続く)
 住宅街から外れた狭くて長い路地を歩いたが、誰一人として出会わなかった。大
みそかの晩に吹雪の中を歩き、まるで野良犬のごとく外をうろつくなんて、我々以
外誰もいないだろう。
 弟は前方の交差点で立ちどまり、私を待った。明かりがついた小さな家屋を指差
し聞いてきた。「誰だと思う?」。

 入口には理髪店の電灯がまだ回っており、悠然とついたり消えたりを繰り返して
いた。細かな雪のかけらが電灯の周りにゆっくりと集まっては舞いおりていた。ガ
ラス扉の向こうに一人の女性が座っているのが見えた。ちょうど40を過ぎたころだ
ろうか。仕事服を着て、髪をわずかに巻いていた。何かを待っているようだった。
彼女も我々に気づき、顔を上げてこちらを見た。
 私は、誰かわからないと答えた。

 弟はちょっと笑い、あの人が今姉さんが電話してた男の人の奥さんだよと言った。
 「姉さんはここの理髪店であの女の人と知り合って、その後に旦那さんと知り合
ったんだ」
 弟は理髪店のドアに背を向け、その先を話した。「昨年の大みそかの晩、姉さん、
ここを通りかかったんだ。まだ理髪店が開いているのが珍しくて、中に入った」
 私は身震いし、「続けなくていい」と言った。
 「でも、姉さんはそのときは、その旦那さんとただのボール遊び仲間だった。卓
球を一緒にやっていただけで、互いに何の問題もなかった」
 「もういい」私は言った。
 「それから、父さんが逝って間もなく、姉さんは卓球台をリビングに置いて家庭
卓球クラブだって宣言した。……俺はあの人たちの球の行き先が変わったんだって、
そのときわかったよ」
 私は、もういいから、と弟に懇願した。
 「俺の旅行会社は俺一人だったけど、姉さんの卓球クラブは日夜訓練に励む一組
のプレーヤーがいた」
 私は怒って弟を見た。「これ以上続けたら、パグ一家を消す」

 弟は軽蔑した目で私を見て、パグーを引っ張り遠くに行った。このとき、携帯が
鳴り、画面を見た私は、自分にもう一人妹がいたのを思い出した。
 今夜、実家に帰ってきていない者がいた。
(次号に続く)

(このコーナーは、日中異文化コミュニケーションの経験を中心テーマとした文章
を紹介していきます。)

……【国際】………………………………………………………………………………
●1400年以上も前に外国人が晋陽に埋葬された理由
 1999年7月8日大雨の後、中国山西省太原市晋源区王郭村の王秋生さんが大雨で流
された道路をスコップで補修していたところ、硬い物体に当たった。更に掘り進め
ていくと石の屋根があらわれ、国内外の考古学界に衝撃を与えた虞弘の墓が発見さ
れたのである。

 これは正確な年代が記された隋代の墓であった。
 墓は家を模した漢白玉(アラバスター)の石槨で、石槨の内側と外側には54枚の
精巧で美しいレリーフがあり、部分的に金泥で装飾が施されている。レリーフの人
物は、顔の彫が深く、髪型は短髪か、チュルク風やペルシャ風の結い髪である。内
容は、饗宴、楽舞、狩猟、家屋、旅などエキゾチックな文化色にあふれている。

 最も目を引くのは石槨の基壇にある聖なる火の祭壇の図案で、〓(*1)教の聖なる
火の儀式の典型的な場面である。
 〓(*1)教は、火の〓(*1)教、拝火教、ゾロアスター教とも呼ばれる、イラン高原
で流行した原始宗教である。南北朝時代ころにシルクロードを通じて中国に伝わり、
ソグド人によって主に信仰されていた。
 考古学的発見により、北朝・隋唐時代の中国の対外交流は、その規模や深さにお
いて前例のないものであったことがわかる。

〈ゾロアスター教の文化的特徴の詰まった石槨がなぜ太原で発掘されたのか〉
 これについて、墓の主である虞弘の話から始めることにする。

 墓誌によると、墓の主の姓は虞、名は弘、字を莫潘といい、魚国の尉〓(*2)鱗城
の出身である。虞弘の祖父奴栖は魚国の領民首長であった。

 墓誌に記されている魚国は、古代ギリシャの歴史家へロドドスの著書「歴史」に
記載されている、農耕は全くせずに、家畜と魚を主食としている「マッサゲタイ」
族である可能性が高い。
 「マッサゲタイ」はもともとギリシャ語で「魚」を意味する。おおよそ紀元前6
世紀に、マッサゲタイ族は既に中央アジアのトランソクシアナと呼ばれる地域(現
在のウズベキスタン付近)で暮らしていた。この地域の住民は、北朝時代の文献で
はソグド昭武九姓胡人と総称されている。領民首長は魚国の最高指導者であり、虞
弘は魚国の「王族」の一員であったと言える。

 虞弘は幼いころ、父親の君陀に連れられて茹茹国(北朝時代に長城を越え砂漠の
南北で活躍した柔然国)に赴き、役人となった。
 虞弘は13歳(西暦546年)のとき、既に茹茹国の莫賀弗(モフフ)という官職に
あり、父のペルシャ(現在のイラン)や吐国(西晋から唐代にかけて祁連山脈と黄
河上流域にあった政権)への派遣に同行したが、これは明らかに魚国の「王族」の
一員であったと言える。

 その後、虞弘は使節として北斉に赴き、中原にとどまった。北斉、北周、隋時代
には直突都督、涼州刺史、使持節儀同大将軍等の官職を歴任した。「数カ国を飛び
回り、10人の主人に仕えた」。主に「外国人」管理の仕事を担い、最終的には太原
が終えんの地となった。

〈この間、特に研究者の関心を集めた虞弘が職務に当たった「薩保府」〉
 「薩保」は、もともとソグド人の商人貴族が担っていたキャラバンの首領の呼び
名である。魏、晋、南北朝時代から、多くのソグド人がシルクロードを経て東へ移
住し、集落を形成した。この集落の首領が「薩保」である。
 中原政府は、これらのソグド人集落を管理統制するために「薩保」を中央政府に
組み入れた。その職務は、ソグド人の集住地区において外国人首領として政治的、
宗教的に監督することであった。

 北朝時代末期、太原には薩保府が存在したことは、多くの考古学的発見で証明さ
れている。
 中国河南省洛陽市で出土した「隋〓(*3)突娑墓誌」には「名は突娑、字は薄賀比
多、并州太原の人なり、父娑、摩訶大菩薩、薄賀比多」と記されている。
 太原市小井峪の唐時代の墓「龍潤墓誌」には、「墓の主龍潤は李淵父子に従い、
太原から率いて西へ赴き、唐が建国され、「最初の朝散大夫」になり、また薩保府
長史として配置された」とある。
 このほか、「曹怡墓誌」には、「曹怡の父曹遵は唐時代の「介州薩保騎馬都府」
である」と記されている。

 薩保府は、太原だけでなく介州でも見られる。虞弘は異民族の首領「薩保」とし
て、并、代、介の3つの州を監督した。これにより、太原には〓(*1)教を信仰する
ソグド人が多くいたことがわかる。
 栄新江氏の論文「北隋・唐時代におけるソグド人の移動とその集落」によると、
北朝・隋・唐代に太原に籍を置き、墓誌に登場するソグドの人々は、〓(*3)娑摩訶、
〓(*3)突娑、安師、安孝臣、康達、康武通、龍潤、龍澄、何氏などの一族である。
 太原の純陽宮にある「洛陰修寺碑」の裏面に記された文武官僚の128人のうち、69
人が2文字以上の復姓の異民族であり、その他の単姓である劉、〓(*4)、元、乙、
丘、成、王、〓(*5)なども異民族の名字が多く、碑文中の異民族の割合は控え目に
見ても60%以上と推定される。

〈なぜ多くの異民族が太原に集まったのか〉
 太原は晋陽、并州とも呼ばれ、三方を山に囲まれ、南には平野が広がり、市内に
は芬河が流れている。かんがいが整い農耕牧畜に適し、地形が険しく攻守にも適し
た場所であった。
 この恵まれた地理的環境から、太原は中原王朝にとって、北方から南下してくる
遊牧民から身を守るための主要な軍事都市となり、同時に農耕文明と遊牧民文明の
交錯する大舞台となったのである。

 明代末期から清代初頭の大思想家顧炎武は、太原の戦略的位置づけについて「天
下郡国利病書」の中で、「魏、斉、周、隋、梁、唐、晋、漢及び十六国の君主は、
領地を分け合い、互いに略奪し合った。これを得た者は栄え、失った者は挫折した。
先に来た者が勝ち、後から来た者が滅びる。人が画策することにあらず。それは、
物事の道理なり」南北朝時代の激動と変革の時代における太原の重要性を物語って
いる。

 当時の政治、軍事、経済、商業の中心地であった晋陽は、北朝時代の繁栄期には
シルクロードの重要なハブであり、外国人が集まる場所となった。当時、相当数の
外国人がシルクロードに沿って、はるばる東の晋陽に滞在して生活し、貿易や商業、
文化芸術活動を行い、晋陽の地に多くの遺物や遺跡を残していったのである。
 例えば、太原の王家峰にある北斉時代の徐顕秀の墓、婁睿の墓、庫狄回洛の墓、
韓祖念の墓は、全て異国情緒に満ちており、晋陽には北朝時代の東西交流の輝かし
い文化交流の姿が残されている。

〈文化交流の核心に迫る2つの変化〉
 虞弘の墓誌には、その姓が「虞」と記されており、その祖先は中国の伝説的な皇
帝である虞舜までさかのぼることができるという。虞舜は五帝の一人で、その生誕
地も山西と言われている。虞弘の一族は山西省太原に住んでおり、彼の名字の選択
には、中国文明の一翼を担うという強い思いが込められている。

 虞弘の墓誌には、国籍のわかる「虞」の字が掘り直されて「魚」に変えられてい
ることは、文化的に重要なことである。これは、「虞」という言葉の形や意味が変
わっただけではない。中国に定住した異民族があらゆる面で中国とかかわり、現地
の人々に認められ、現地の文化的雰囲気に溶け込もうとしたことのあらわれでもある。
 しかし、心の底では、やはり自分たちの伝統文化に深い愛着を持っており、それ
は墓碑の「魚」の字を変えて、より国籍を示すようにしたことにあらわれている。

 偶然にも「隋書・虞慶則伝」には、「本姓は魚である。最初に赫蓮氏に仕え、北
の豪傑となった」。虞慶則は、「本姓が魚」である、名字を「魚」から「虞」に変
えたと記されている。虞弘の状況と正反対で興味深い。
 唐代の太原にある龍一族の墓地からは多くの墓誌が出土しているが、その中には
西域から来たとするものや、晋陽人とするもの、既に「荊州を故郷とすることを心
待ちにしていた」とするものなどがある。

 多くの歴史的文書と考古学的発見は、北朝及び隋唐時代の中国の対外交流が規模
と深さの点で前例のないものであったことを示している。
 陸のシルクロード、海のシルクロードを経て、この開放的で寛容な国に多くの外
国人、調度工芸品や文化が入り込んで定着し、やがて中国文明の森に融合していっ
たのである。
 魏から唐代にかけて中国北部の重要な都市であった晋陽は、この壮大な文化交流
と相互理解において卓越した貢献をした。虞弘の墓の発見は、まさにこの輝かしい
歴史の物理的な描写であり、非常に貴重である。
注)〓(*1)は「示」に「天」、〓(*2)はいとへんに「乞」、〓(*3)は「羽」の下に
ふるとり、〓(*4)は「革」におのづくり、〓(*5)は「赤」におおざと。
〔中国新聞網2022年12月20日〕
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(83号以降 2000/9/25―) http://www.bizchina.jp/ja/nweek/
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編集長:李年古/副編集長:前野貴子 特別協力:劉莉生
翻訳:竹内はる菜 澤田裕子 楊桃 村井好子
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