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電子マガジン・中国最新情報
中国国内各紙の報道をもとに編集部が独自のセンスで選んだ、中国経済全般、政策動 向、産業一般、社会などホットな中国情報満載。日本の報道では物足りない、今の中 国を日本語で読みたい方は必見!
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教育・文化ウオッチ@中国最新情報 No.789 2023年1月4週号
発行:《中国最新情報》編集部 http://www.bizchina.jp/
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━【お知らせ】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「中国最新情報」は編集者多忙につき、1カ月間休刊します。
 次回配信は2023年3月3週の予定です。

━【目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏【特集:新しい職業の出現と若者たちの働く気力】
●新しい職業 月給は万元を優に超すものも
●現代卒業生図鑑 すねかじり、卒業延期、仕事を探したくない若者

┏【李年古の日中異文化交流術】
●短編小説「私たちは実家で年を越した」 7

┏【国際】
●なぜ「長城の両側が故郷」なのか

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……【特集:新しい職業の出現と若者たちの働く気力】……………………………
●新しい職業 月給は万元を優に超すものも
 インターネットマーケター、産業ロボットシステムオペレーター、レーザー設備
技術者など、ここ数年、産業構造の転換や高度化により分業が進み、新しい職業が
雨後のタケノコのように出現している。多くの人にはこれまで知らなかったし聞い
たこともなかったような新しい就業形態が、徐々に基準や業務がはっきりした就業
先へと変化してきている。

〈新しい職業が新しい就業先をつくる〉
 「画面の前の赤ちゃん、こんにちは!」就職して間もない周賢さんはレンズを前
にライブ配信をしていた。「ライブコマースMC」というより、みずからを「インタ
ーネットマーケター」と呼ばれたいという。この新しい職業は、デジタル化された
情報プラットフォームにおいてネットワークの双方向性と発信力で企業の商品を販
売する人を指す。

 インターネットマーケターの仕事は、よく知られているライブコマースのほか、
商品選定、動画制作、プラットフォーム運営等のプロセスも含まれる。
 広州公用事業技師学院では、学生が実際の現場を再現したライブ配信室で模擬の
ライブ配信をし、ライブ配信室の外では学生3人のチームが専門のライブ配信チー
ムさながらに監督、商品選定、記録を担当していた。
 同校では、デジタルエコノミー分野の新しい職業である新メディア・インターネ
ット応用の専攻を開設している。学生は、新メディアのデザイン、マーケティング、
文化創意、ショート動画等のインターネット技術を総合的に学ぶ。同校の電子商取
引専攻はここ3年で777人が卒業し、就職率は99.75%だった。
 インターネットマーケターは2020年3月に正式に国家が認定した16の新しい職業
の一つになり、これまで、商品選定員、ライブコマース販売員、動画制作者、プラ
ットフォーム管理員などの4つの職種へと分業化している。人社部の予測によると、
2025年には、インターネットマーケターは4000万人不足すると予想されている。
〔羊城晩報2022年11月4日〕

●現代卒業生図鑑 すねかじり、卒業延期、仕事を探したくない若者
 1067万という巨大な数字が、中国の大学の今年の新卒者数である。
 就職市場に流れ込む1000万人を超える卒業生と経済の下降圧力とが対立し、大学
生の多くは社会進出の入口で出ばなをくじかれている。
 10年前、もし大学のキャンパスで4年生に卒業後に何をするかと聞いたら、きっ
と、皆、迷うことなく、働き場所を探すと答えるだろう。
 しかし、今、同じ質問をするとさまざまな答えが戻ってくるはずだ。大学院受験、
実家に帰って親のすねかじり、卒業の延期などだ。
 簡単に言えば、仕事をしなければ、何でもいいということである。
 仕事をしたくない卒業生は幾つかのカテゴリーに区分できる。

〈1 寝そべりに徹する〉
 基本的には、家にお金があって住居があることが条件である。家に少しはお金が
あるので、子供には仕事を見つける切迫感はそれほど強くなく、せいぜい実家で親
のすねをかじって、これ幸いと静かに過ごして食べていけて、それで非常に快適で
ある。

〈2 半寝そべり状態〉
 つまり、寝そべっているといっても、寝そべりに徹しているわけではないという
ことである。
 この層は主に大学院試験や公務員試験を受ける卒業生で、更に深く研究したいと
か、ある組織に入りたいと考えている。
 試験準備をしながら仕事もすることはできるのだろうかというと、それはもちろ
ん無理で、若者は仕事に専念すべきだし、職探しに影響が出るのでないかというこ
とで、とりあえず、落ちつける場所を探し、両親から生活費を受け、寝そべりなが
ら勉強するのである。

〈3 寝そべったり起き上がったり〉
 ほかに、寝そべっているとは言っても、そうなっていないようで、起き上がって
きては無理したりを繰り返している。
 この2年間で、もしも就職先もなく、公務員や大学院にも合格できなかったがキ
ャンパスからも離れたくない場合には、卒業延期を考えるという卒業年次の大学生
も多くなってきた。
 卒業を延期すれば、新卒の身分があり、もう一度秋の就職活動に参加し、公務員
試験ももう一度受けられ、学校の寮、食堂、図書館を利用できるのである。
 もちろん、卒業の延期を誰も望んで申請するわけではなく、これまでは試験や論
文が不合格の学生が迫られて申請したものである。それが、卒業延期という目標を
円滑に達成するために、試験の合否、論文の進度、先生への態度を工夫し始めるよ
うになった。

 実は、今の若者は働きたくないが、それは、全て若者のせいでもない。仕事をし
たくても史上最難の就職シーズン、試験に合格したくても史上最高の競争率、海外
に出たくても国際関係は緊張感が高まっている。卒業生が寝そべり始めたのは、多
くが環境の影響から選択を迫られているということである。
〔養料2022年11月4日〕
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……【李年古の日中異文化交流術】……………………………………………………
●短編小説「私たちは実家で年を越した」 7
(前号より続く)
 今年の年越しはまるで早送りボタンを押したかのように過ぎていき、場面はすぐ
に切りかわった。幸いにも姉が沈黙を破った。「丹丹にビデオ通話してみよう」丹
丹は姉の一人娘でアメリカにいる。姉夫は2年前に亡くなり、その後、丹丹も遠く
アメリカに留学した。

 呼出音が長く続き、ようやく聞こえたのがどなり声だった。
 「母さん!何時だと思ってるの?今、夜中の3時半よ」
 姉は笑った。冬瓜の砂糖漬けを買い忘れて笑ったときよりよっぽど気まずそうに
笑った。そして、「きょうは例外よ。おじさんたちと年越し御飯を食べているの。
その様子を見せたかったのよ」と言った。
 向こうからは何も聞こえなかった。姉はまた言った。「アメリカでは年越ししな
いなんてことはないでしょう」

 「何回言えばわかるのよ。世界中の人が年越し御飯を食べてるわけじゃないし、
種かじりながら『春晩』を見てるわけじゃないの」
 ガチャンと音がして電話が切れたが、姉は全く気づいておらず、スマホに向かっ
てまだいろいろと話していた。姉の赤ら顔は赤ワインよりも濃く、電気の下でしわ
一本一本がさざ波のように揺れていた。パグが鳴き、姉はようやく気がついた。
 このパグが『春晩』のテレビ画面の前で回っては鳴いている様子はまるで、年越
しの一大行事の宝くじを彼一人で当てているかのようであった。
 姉は呆気にとられた様子で、真っ暗な携帯画面を見ていた。私も思わず携帯を取
り出し東京の妻に電話をしたくなったが、その考えは捨てた。今夜やかんはまだ沸
騰していない。親し気な挨拶は部屋の温度を急速に下げることになる。

 「丹丹からWechatが来た!」姉が急に叫んだ。「何て書いてある?……『年越し
御飯の写真を送って。冬瓜の砂糖漬けを載せた八宝飯はある?おじいちゃんのつく
ったこれだけがよだれが出る』」
 「冬瓜砂糖漬け!冬瓜砂糖漬け!」姉は立ち上がり、パグ同様、テーブル前で回
り始めた。「どうしよう?冬瓜の砂糖漬けが載っている八宝飯、どこで手に入る?!」
 私達は発狂しそうな姉の様子に驚いてしまったが、私はまだ冷静さを失っておら
ず、こう言った。「もしその砂糖漬け冬瓜野郎を手に入れられたら、それを撮って、
八宝飯に貼り付けて合成させた写真を送ればいいんじゃない」

 姉はそれを聞くや否や想像力を大いに発揮し、すぐに電話をかけたが相手に切ら
れてしまった。幾つか汚い言葉を吐き、姉はまた別の人に電話をかけたが、出なか
った。諦めずかけ続け、ようやくつながった。まず聞こえてきたのはトイレの流れ
る音で、続いて押し殺したようなしわがれ声が聞こえてきた。
 「聞いて。すぐに冬瓜の砂糖漬けを買ってきて。今すぐ!」
 大分時間が経って相手はようやく何のことか理解し、懇願するように言った。
「大みそかの夜にどこに買いに行けって言うの。ましてや大みそかは娘とあの人に
付き添わないといけないから」
 「とぼけないでよ。奥さん、今夜はまだ美容院で番をしているから、帰ってきて
いないじゃないの!」

 弟がいたずらっぽい視線を投げかけてきて、私たちは声を出さずに笑った。弟か
ら以前聞いたことがある。姉は夫を亡くしてから数知れずの男性と数知れずの恋愛
をし、相手は例外なく妻のいる男性だという。どうして姉は飽きることなく家庭を
壊し続けるのか。その原因は誰もわからない。
 姉はまだスマホに向かって怒っていた。「娘に付き添うの?私の娘にも尽くしな
さいよ!」
 「わかったわかった。何とかできないか考えてみる」相手はかなり驚いたのだろ
う。またトイレを流す音が聞こえてきた。きっと彼は娘を言い訳にしたことを後悔
しただろう。
 「1時間以内に持ってきなさい。さもなきゃ、あんたの奥さんに買いに行かせる
から!」
 姉は電話を切り、とてもおごり高ぶった目つきで弟たちを見た。その瞬間、私た
ちは姉の視線を避けた。彼女が全男性を攻撃するつもりだとわかっていたからだ。
 姉はますます早世した母に似てきた。あの威風堂々とした様子、横暴で子供時代
の姉を傷つけた母。

 姉が身支度を始めた。どこに行くのかと問うとわからないと言う。「とにかく冬
瓜の砂糖漬けを探しに行かなきゃ!」
 私は慌てて待つように言い「ごった煮と豚皮だけは食べてから行ってよ」と言っ
た。急いで台所に鍋とつけ合わせをとりに行った。
 台所に行き呆然とした。台所から叫んだ。「俺の豚皮は?豚皮どこに行ったの?!」

 弟も慌て、私は彼の視線の先にパグを見た。
 パグは4つの目が自分を見ているのに気づき、泥棒のように後ずさりし、前足を
床にべたっとつけた。
 彼の口は油で光っていて、豚皮が1枚、まだ彼の口からのぞいていた。
 この瞬間、私はごった煮を犬鍋にできないことを心から恨めしく思ったのだった。
(次号に続く)

(このコーナーは、日中異文化コミュニケーションの経験を中心テーマとした文章
を紹介していきます。)

……【国際】………………………………………………………………………………
●なぜ「長城の両側が故郷」なのか
 人類史上最も古く最も巨大な建造物で、中国に現存する規模が最も大きく最も広
く分布する世界遺産として、長城は2000年以上、縦横に10万里(5万キロ)にわた
り、広範で奥深い文化的内包と時空を超えた精神的価値を形成した。長城は、中華
民族の精神の絶えることのない根源として、中華民族の多元的一体構造の形成と発
展の促進、世界文明の進歩の過程においてかけがえのない重要な役割を果たした。
 なぜ、「長城の両側が故郷」と言われるのか。なぜ、長城が中華民族の共同創造
の産物なのか。なぜ、長城が中華民族の多元一体化と統一の象徴になったのか。新
しい時代に再び長城に焦点を当て、長城に文化的な新たな意味合いを持たせること
は非常に重要で特別な意味がある。

〈「万里の長城」の概念〉
 長城は、中国の歴史上それぞれの王朝により呼び方が異なる。西周では列城、春
秋戦国時代の楚では方城、斉では長城、戦国時代は塹、漢と唐では塞、金では界壕、
元ではチンギス・ハーン辺牆、明では辺牆と呼ばれた。
 中国の歴史上、秦、漢、明代の3回にわたって万里の長城が建設された。秦と漢
の間には88年、漢と明の間には1575年の隔たりがある。
 秦による中国統一後、国内で孤立していた長城を放棄し、秦、趙、燕の北の国境
に沿った長城が連結、延長、修復された。これにより、初めて西の臨〓(*1)から東
の遼東まで1万余里に及ぶ長城、すなわち万里の長城が誕生し、このとき、中国に
は万里の長城という概念が初めてできた。
 漢は、元の秦の長城を放棄し、燕、趙の長城をもとに西進を続け、秦の長城の燕、
趙の部分をつなぎ、敦煌、陽関、玉門関を経て西域に至る漢の長城を築いた。甘粛
省河西回廊にある漢の長城は「西域開拓」であり、漢の西側に窓を開き西洋を理解
するためのものだった。
 それから千数百年後、明の長城は、東は鴨緑江畔の虎山から西は居庸関まで、北
斉、北魏、秦、漢、隋の長城をもとに、祁連山の東麓から嘉峪関まで追加建設され
たものである。

 「長城」という名称は、春秋戦国時代の斉で登場し、唐代の歴史書でも使われて
いたが、「長城」という概念が統一されたのは近代になってからである。
 2019年12月、中国共産党中央弁公庁、国務院弁公庁は「長城、大運河、長征文化
公園建設計画」を発表し、長城の概念を再び統一した。「戦国時代、秦、漢の長城、
長城の特徴を持つ北魏、北斉、隋、唐、五代、宋、西夏、遼の防衛システム、金の
界壕、明の長城を含む」と明確に定義された。
 この計画では、長城の特徴を持つそれぞれの民族の祖先が築いた防御システムの
全てが長城の概念に初めて明確に組み込まれた。狼煙台、砦、宿駅、関所、長い城
壁、敵楼及び関連する遺跡を長城と総称することが明確になり、長城の持つ意味合
いが大きく膨らんだ。
 長城の概念に対する認識は体系的かつ包括的でなければならない。歴代の王朝が
築いて踏襲されてきた長城は重層的な歴史的建造物であり、全体として切り離すこ
とができない。
 その昔、長城は単体であると考えられた。長い城壁のみが長城であるとされ、一
連の砦や狼煙台は無視された。長城は帯状の建造物であるため、時間的、空間的に
も単体での評価をすべきではない。重層的に建造され使用されてきた長城を全体と
して見ることによってのみ、万里の長城が中国の人々にとって長期的な価値と重要
性を深く理解できる。

〈「兄弟間の庭の壁」〉
 長城は、「兄弟間の庭の壁」であって、国境線ではない。
 東周の国々によって築かれた長城は、いずれも周の天子の領土であり、同じ一族
の兄弟によって築かれた庭の壁とみなすべきである。
 秦の長城は、戦国時代の秦、趙、燕の長城をもとに築かれた。
 漢の長城は、秦の長城の燕と趙の部分をつなぎ、内モンゴルから甘粛、敦煌の西
域の至る区間に建設された。
 明の長城は、漢の長城の西域部分の放棄により、西の嘉峪関から東の遼寧省虎山
まで、北斉、北魏、秦、漢、隋時代の長城を基礎にして、北方民族を防御するため
に築かれた北の辺牆は、明北長城と呼ばれた。ミャオ族の地域では、統制力を強化
するために南西の辺牆が築かれ、明南長城と呼ばれた。
 清の長城は明の長城の基礎をそのまま使用し、遼寧省の長城は取り壊された。山
海関の軍事構造を逆に使用して、柳条辺牆が築かれた。新疆地区には〓(*2)倫
(歩哨所)が建設され、漢、唐の軍事施設を利用して新しい長城が築かれた。

 長城は、長い年月をかけて築かれてきたものである。長城は、領土を守り平和を
愛する中華民族のたゆまぬ追求を体現している。かつては戦火が絶えない激動の時
代であったが、中原の農耕文化と草原の遊牧文化、山地の漁猟文化は、長城の南北
で相互に影響し合い、交流融合の常に主流にあった。
 いわば長城は、一種の国家統治秩序であった。各民族が戦争を通じて互いに略奪
するのではなく、関所で自由に交易できるようにした。例えば、明の時代には東に
馬市、西に茶市があり、清の時代には茶馬の国境交易があった。
 長城の建設は中華民族の繁栄と発展に重要な役割を果たし、中華民族の多元一体
構造の形成と発展を証明し促進したのである。

〈何度も行われた大規模移住の歴史的証拠〉
 長城の両側は全て故郷である。国土の空間的には、「長城の内と外」ではなく、
「長城の南と北」あるいは「長城の東と西」と呼ぶのが適切であろう。
 2000年以上もの間、さまざまな民族の大移動と大規模な統合は中断されることは
なかった。長城は、民族の移動と交流、融合の証しである。
 漢の武帝の時代には、領土が拡大し、辺境の統治を強化するために辺境への移住
が何度も行われた。最大で70万人以上が中原から辺境地域へ移住した。

 明の時代も江南から長城を守るために何度も移住した。当初、長城を防備する人
たちは長城の片側の土地だけを耕した。さらには、長城の両側のさまざまな民族間
で結婚が盛んになり、次第に「長城の両側が故郷」という状況が生まれてきたので
ある。
 遼寧省の長城を例にとると、明の時代に、倭寇討伐の名将である戚継光は浙江省
の義烏から3000人の兵を率いて長城の防備に赴き、村や町を建設した。多くの望楼
は一族の姓にちなんで名づけられ、張家楼や李家楼などがある。
 清の康熙帝は長城に沿った北方防備隊に長城の北側の土地を与えたが、その例と
して、遼寧省綏中永安堡郷立根台村が挙げられる。

 明代以降、長城に関連する大規模な移住は、山西省にある長城の関所や山海関よ
り東への移住があり、関里家という言葉も生まれた。清代には、康熙帝が前王朝の
長城防備の兵士や軍籍にある家の人々が定住するために長城の北側へ移動すること
を許可した。長城文化は民族大融合の血縁関係のあらわれであり、多民族統一国家
の形成を促進したと言える。
 何千年もの間、長城の北側には胡人化した漢民族が、南側には漢民族化した胡人
がいるという状況が続いている。長城の北と南の文化や信仰を互いに認め合い、民
族間の調和と共存が常に主流であった。
 長城を守るために関羽をまつり、長城を攻めるために孟姜女をまつるという根深
い民間風習が早期に形成された。長城の要害では、儒教、仏教、道教が信仰されて
いる。関帝廟は忠義を広め、孔子廟、魁星楼と文昌閣は国家秩序を説き、全体では
友好平和を提唱した。長城の外側にある孟姜女廟も垣根を取り払おうという意図で
建てられた。このような動きは、それぞれの民族が中華民族、中華文化に深く共感
していることをあらわしている。

〈中華民族の多元一体化と中国の偉大な統一の象徴〉
 長城の建設の歴史を振り返ると、長城は、中国の各民族の共同創造の産物である。
各民族の祖先は、それぞれ長城を築いてともに防備し、そして統一多民族国家の形
成と揺るぎない発展に貢献してきた。
 長城は、長い歳月をかけ、遼、金、元、清が中原を支配した時代も含めて、さま
ざまな民族の祖先たちが築いたものである。
 北魏(386年―534年)は、鮮卑による政権で、全長2000里(1000キロ)余りの大
規模な長城を築いた。
 北斉(550年―577年)は、鮮卑による政権で、6回にわたり築かれた長城は、そ
の全長が5000里(2500キロ)を超え、現在、山海関、黄崖関、山西呂梁等の遺跡が
ある。
 隋(581年―618年)は、鮮卑族にルーツを持つ漢族の政権で、長城は5回にわた
って築かれ、「東は黄河、西は綏州、南は勃出嶺に至るまで700里(350キロ)に及
ぶ」と言われる。
 北宋(960年―1127年)になると、中国の歴史では宋、遼、西夏、金の割拠の時
代であり、宋は石と土で長城を築くことをやめた。かわりに保定から北の海河口ま
で水脈でつないで航行も歩いて渡ることもできない「水の長城」を建設し、沿線に
砦を建設した。
 金(1115年―1234年)は、女真族が中国北部と東北部を統治するために建てた王
朝だった。金界壕とも呼ばれる全長約5500キロの長城を築いた。このとき、各民族
の祖先の政権が築いた長城は1万キロに達した。
 清(1636年―1912年)は過去の王朝の築いた長城を引き続き使用し、康熙帝が
「国境の壁を築かない」と命令を出したが、実際には清の長城もかなり規模が大き
く、地理的な距離も前代未聞で、その建設範囲には、基本的にシルクロード沿いの
利用可能な全ての施設と淮河以北の全ての省が含まれ、特に黄河以北に集中した。

 したがって、長城は、中国の各民族が共同創造の産物であり、中国歴代の各民族
の努力と知恵を結集したものである。その間、北魏、北斉、西夏、遼及び金界壕は、
各民族の政権によって築かれた長城であった。長城は、その長く継続的な建設の過
程で、次第に中華民族の多元一体化と中国の偉大な統一の象徴になったのである。

〈中華民族が人類運命共同体を築いた歴史的な証拠〉
 人類の運命共同体という考え方に最も合致する長城文化は、間違いなくシルクロ
ードの長城である。中国の数ある長城の資源の中でも、シルクロードの長城は、長
城の開放と包容、協力とウイン・ウインの精神を最もよく体現している。長城とシ
ルクロードは、東と西、古代と現代を結ぶ世界的な文化遺産であり、限りない気づ
きを与えてくれる。
 シルクロードの長城は、シルクロードの安全な通行を保障し、世界平和を維持す
るための施設である。そのため、2000年以上にもわたって建設が繰り返されてきた。
甘粛省から新疆ウイグル自治区に至るシルクロードの北部、中部、南部のルートは
全長約8700キロメートルの長城と高頻度で重なり、陸路のシルクロードが長城に依
存していることがわかる。
 シルクロードの長城の保護のもとで、各民族の文化及び中国と西洋の文明が融合
することができ、シルクロードは中国文明と世界文明を結ぶ架け橋となり、それと
ともにシルクロードの長城沿線は文化交流の「ホット」な地域となった。
 張騫の「西域開拓」、前漢の「武威、張掖、酒泉、敦煌の四郡と玉門関と陽関の
二つの関を設置」以降、中国文明は、ヨーロッパ・アジアに広く伝播し、多元文化
がここに調和し共存している。長城は、シルクロードを通じた中国と西洋の経済、
文化交流の道を開いたと言えるだろう。
 長城に守られた敦煌の莫高窟、雲崗石窟、玄奘三蔵の道などの文化の旅は、中華
民族が人類運命共同体を築いた歴史的な証拠である。

 長城は非常に歴史が長いが、長城を研究する長城学は歴史が浅い。新しい時代に
は、国際的視野で、人類は発展の観点から長城に再び焦点を当て、パートーナーシ
ップ、安全保障枠組み、経済発展と文明の相互理解の面において、中国の智慧と解
決策で継続的に貢献しなければならない。
注)〓(*1)は、さんずいに「兆」。〓(*2)は「上」の下に「ト」。
〔中国新聞網2022年10月31日〕
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編集長:李年古/副編集長:前野貴子 特別協力:劉莉生
翻訳:竹内はる菜 澤田裕子 楊桃 村井好子
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