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電子マガジン・中国最新情報
中国国内各紙の報道をもとに編集部が独自のセンスで選んだ、中国経済全般、政策動 向、産業一般、社会などホットな中国情報満載。日本の報道では物足りない、今の中 国を日本語で読みたい方は必見!
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教育・文化ウオッチ@中国最新情報 No.774 2022年4月5週号
発行:《中国最新情報》編集部 http://www.bizchina.jp/
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━【目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏【特集:社会変革過程の不安とセーフティーネット】
●「社交恐怖症」と「社交上手」 社会変革の中での恐怖と愛
●3歳以下の幼児扶養個人所得税控除政策が登場

┏【李年古の日中異文化交流術】
●日本から中国へ 隔離中、ではなく隔離への道のり 6

┏【国際】
●東西文明交流に「先史時代の交流圏」が存在する理由

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……【特集:社会変革過程の不安とセーフティーネット】…………………………
●「社交恐怖症」と「社交上手」 社会変革の中での恐怖と愛
 「社恐」とは「社交恐怖症」の略称であり、もともとは精神障害の病名で、不安
障害の一種であり、人が社交、公開表現を行う際、他人に批判、指摘等をされるこ
とを恐れることにより生じる逃避心理である。
 現在、「社恐」は既に心理学上の名詞のみならず、ネット上の若者たちが自己の
社交逃避に対する一種の状態を言うジョークとなっている。この状態は近年、若者
たちの間で特に流行している。
 2021年11月、「中国青年報」は全国の大学生に対し「社交恐怖症」に関するアン
ケート調査を行った。その結果、アンケートに回答した80.22%の大学生が自分は軽
度な「社恐」であるとし、6.90%は比較的深刻な「社恐」であるとし、更に0.64%は
医学上社交恐怖症であると診断されたとした。

 病理学上の「社恐」ではない人たちの具体的なデータを統計することは、社会学
研究者にとって難題となっている。
 まず、この種の「社恐」状態は個人がみずから定義するものであること、次に、
これらの人々は自己と社会の一般大衆との接触や連絡をできるだけ減らそうとする
ためである。

 しかし、みずからの感じたことをソーシャルネットワークにおいて表現する意思
のある人もおり、みずから「社交恐怖症」であると認める人たちはネット上で小グ
ループを立ち上げている。
 例えば、豆瓣サイトの「私は深刻な社交恐怖症である」というグループには4万
以上のメンバーがおり、また別の社交恐怖症に関するグループである「社交恐怖症
相互協力」には6万以上のメンバーがいる。
 これらの数字は、みずから「社恐」であると認めるグループの数が非常に膨大で
あることをあらわしている。

 華中科技大学の鄭丹丹教授は「社恐」現象の観察を続けており、次のように考え
ている。
 インターネットのもたらした生活方法の変化は、従来の人間関係、親族関係を大
幅に弱め、特に、従来の「宗族」社会及び関連儀式感を弱体化させており、これら
は「社恐」流行のために大きな生存空間を与えてしまっている。
〔中国新聞週刊2022年4月11日〕

●3歳以下の幼児扶養個人所得税控除政策が登場
 3月28日、国務院は、3歳以下の幼児扶養特別付加控除政策を正式に交付した。3
歳以下の幼児を有する個人所得税納税者は、今年1月1日から新たな特別付加控除を
享受することができる。
 これは2019年1月1日から、子女教育、継続教育、大病医療、住宅ローン利息又は
住宅賃貸料、老人扶養等6項目の特別付加控除政策の実施が開始されて以来、中国
で実施される第7項目の関連政策である。

 当該政策は、2022年1月1日から、納税者が3歳以下の幼児を扶養するための関連
支出について、個人所得税納税額を計算する前に、幼児1人当たり毎月1000元の基
準に従い定額控除すると規定している。
 具体的な控除方法において、夫妻のいずれか一方から基準額の100%を控除する、
又は夫妻の双方から基準額の50%をそれぞれ控除することを選択することができる。
保護者が父母ではない場合も、上記政策規定に従い控除することができる。

 当該政策実施後、3歳以下の幼児を持つ家庭は優遇を受けることができる。国家
統計局公布のデータによると、2019年―2021年の中国の出生総人口は計3727万であ
る。〔中国新聞週刊2022年4月11日〕

……【李年古の日中異文化交流術】……………………………………………………
●日本から中国へ 隔離中、ではなく隔離への道のり 6
(前号より続く)
 ホテルでの3日目、電話が鳴った。故郷の大通りにある事務局からの電話だった。
 電話口からは、お姉さんの優しい声が、隔離後いつ家に帰るのか聞いてきた。聞
くや否やうれしくなり「どなたですか?どうお迎えに来られますか」と聞いた。
 優しい声のお姉さんは、高速鉄道で帰るにせよ飛行機で帰るにせよ、車両を手配
して私を迎えに来ると言った。
 身に余るもてなしに驚き喜び、私は「大丈夫。帰宅の道はわかります」と言うと、
相手は「御帰宅のお迎えではありません。規定に従い、長沙のホテルにお送りし、
そこで再度7日間の集中隔離となります。その後、7日間の自宅隔離となります」と
言った。

 まさか。私を待っていたのは21日間の集中隔離だったのか、自宅でも7日間の隔離!
 優しい声のお姉さんに「それ意味あるの?」と聞いた。「感染していたら、広州
から飛行機や高速鉄道に乗る時点で既に周りにまき散らしているんじゃないの?」
と聞いた。彼女はくすくす笑い「私たちはあなたが湖南に入る状況のみ管理してい
ますので」と言った。

 私は挫折でもしたような気分になった。というのも、1年前、コロナが最も厳格
な時に帰国した時より更にきつかったからだ。
 帰国前にはインターネット各所で情報を探し、果たして何日の隔離が必要になる
のかを把握。そして、親族に隔離状況を確認させて得た情報は全て偽物だったのか!

 中国国内の友人に、まるで祥林嫂(魯迅転変小説「祝福」中心人物。旧中国農村
労働女性の典型)のように苦労を訴えた際、思いがけずも皆口ぶりは同じで「君よ
りひどい状況の人はいっぱいいる」だった。
 ある友人は、彼女の職場で新たに任命されたリーダーが半年もの間ロシアのホテ
ルから離れられなかったため、すぐさま任務につけず、ようやく上海に戻ったとこ
ろで21日間の集中隔離があり、それを終えた現在も、いまだ北京に戻れていないと
言った。
 もう一人は、友人が健康グリーンコードを取得し北京を出たが、故郷への航空券
また高速鉄道切符が買えず、よその土地で放浪待機中だ、と言った。などなど。

 友人それぞれの慰めを聞き、突如思い出した。これは不幸な人を慰めるときに中
国でよく使われる手だった。思わぬ仕打ちを受けたと訴える者に対し、相手は周り
の誰々は地下で這いつくばっているよと話す。
 「更に悲惨だよ、こん棒で完膚なきまでに殴られてるよ」この手段はとても有効
だ。その話を聞くや否や、この上ない同情と自己を恥じ入る気持ちになり、比べれ
ば、自身が神の寵児であるかのような感覚に陥る。ほくそ笑む様子は、決して天に
許される行為ではない。

 年下の友人ただ一人が独創性のある慰め方をしてくれた。「こんなに長期間隔離
されて出てきた日のことを想像してみてよ。どんな気持ちになると思う?!」
 私は真剣に想像して答えた。「もしかしたら、余りに鬱々としているから、一生
こもってもうそこから出てきたくなくなっているかも」
(連載終了:写真をツイッターに投稿していますので、ぜひごらんください)

「中国から日本へ 誰がわかるのだろう。明日私は帰れますか?」1―5
 No.754(2021年4月5週号)〜No.750(2021年2月4週号)掲載

(このコーナーは、日中異文化コミュニケーションの経験を中心テーマとした文章
を紹介していきます。)

……【国際】………………………………………………………………………………
●東西文明交流に「先史時代の交流圏」が存在する理由
 4、5000年前かそれ以前から、中国の異なる地域間での文化交流が盛んになり、
少なくとも4000年前には、この中国の先史時代の交流圏は北、中央アジアの交流圏
とも結びついた。
 先史時代にタイムスリップすると、文化交流が多様な文化を形成する重要な要因
であり、中国文明と中央アジア、北アジアとの大陸をまたいだ交流がユーラシア草
原を交流回廊へと変えたことがわかる。
 このような国を超えた「文明相互学習」は中国文明の特徴であり、さらに、その
起源、形成、発展の原動力の一つである。

〈地域文化交流―中国先史時代の社会の「普遍的現象」〉
 現在の中国における、先史時代の燕遼地域、海岱地域、長江中流域、長江下流域、
中原地域などそれぞれの地理的単位や地域が、比較的独立した文化や社会の発展プ
ロセスを持っていた。更に重要なことには、これらの地域間に相互交流があり、そ
の結果は、直接的には周辺諸文化の先進的要素が絶え間なく流れ込み融合するとい
う形であらわれている。

 約5000年前、長江下流域の良渚文化で約2000キロ離れた西遼河流域の紅山文化の
特徴を持つ玉器が発見されたことは学界で認知されている。
 約4300年前、山西省南部の陶寺遺跡に代表される陶寺文化で発見された青銅器と
両耳付き壺は甘粛及び青海地域の斉家文化と密接に関係していることは明らかであ
り、陶寺文化の祭礼に用いたワニ皮の太鼓、水玉模様の彩色陶片、玉の武器及び豚
の下あごを副葬品とした習わしなどは海岱地域の大〓(*1)口―竜山文化系統にルー
ツがある。
 また、陶寺文化の青銅器酒器は江漢平原の石家河文化の同様の器と非常によく似
ており、王級墓から出土した玉の獣面は後期石家河文化のものと同様の形態と技術
であることがわかっている。
 ほぼ同時代の晋陜高原の石〓(*2)(シーマオ)文化と陶寺文化との間では陶器、
玉器、銅器及び建築技術などの分野で交流があった。石〓(*2)遺跡の中核である皇
城台で新たに発見された石刻は東北地域の石刻の伝統が明確に吸収されており、石
刻の獣面と人面には遠く離れた江漢平原の後期石家河文化に類似したものが多くある。

 同時代の文化に広範に深く入り込んだ交流が存在するだけでなく、異なる文化の
間にも継承、吸収や発揚が明らかに存在する。このような文化の伝承や記憶もやは
り一種の相互交流である。
 良渚文化で最も特徴的ですぐれた技巧を持つ玉器は、そのルーツをたどると、そ
れ以前の江淮地域の凌家灘文化の玉器工芸を吸収したことが明らかで、凌家灘文化
から良渚文化への移行は一種の「再構築」と「統合」である。
 良渚文化以降に玉によって贅沢や宗教的威信を表現するという文化的遺産や概念
は、海岱地域に近い淮河流域の大〓(*1)口晩期の文化との融合により、「礼」の意
味合いを強めて、中原地域から広大な竜山文化の社会へと広がっていった。
 さらに、ほぼ同時に西方から南下してきた冶金技術、新しい種、新しい知識と融
合し、陶寺文化や石〓(*2)文化の社会のようなより高度な政治文明及び社会が形成
された。

 中国の先史時代において、陶器には、「陶鼎(てい)」に代表される「鼎系統」
文化と、「陶鬲(れき)」に象徴される「鬲系統」文化が伝統的に存在した。
 この二つの異なる文化と技術体系は、長い交流を経て、夏王朝の二里頭文化にお
いて融合したのである。注目すべきことは、二里頭文化の時期はまさしく早期中国
文明の中核が形成された時期と重なることだ。
 このことから、4、5000年前あるいはそれ以前の、中国の先史時代には異なる地
域間で広範囲な文化交流があったことがわかり、先史時代の複雑な社会間に遠距離
の「上層部の交流ネットワーク」が存在したと推測する学者もいるほどだ。

〈東西文明の広域的交流―テーマは世界〉
 100年にわたる中国及び周辺諸国の考古学研究では、4、5000年以上前に、先史時
代の中国国内の地域的な文化交流だけでなく、北アジアや中央アジアとの大陸をま
たいだ交流の存在が明らかになった。

 紀元前3000年紀の中晩期には、メソポタミア、イラン高原、インダス川流域、ペ
ルシャ湾沿岸と中央アジアの各都市間との交易が盛んになり、中央アジア交流圏の
形成を促進した。
 ほぼ同時期に、北アジアのユーラシア草原は、人の移動や持続的な文化の交流に
より、技術と文化的伝統が融合し、ユーラシア草原は交流回廊へと変化した。イラ
ン北部のヒ素青銅は、中央アジアのオアシスや河谷地帯を通り新疆に入り、河西回
廊を経て中原地域に伝わった。
 中国の竜山文化期と同時期の紀元前3000年紀の中晩期に、北アジアの南シベリア
地域では早期青銅器時代に突入し、その隆盛期には、オクネフ文化、オディノフ文
化、クロトフ文化などの異なる早期青銅器文化圏をまたぐ「セイマ・トゥルビーノ
現象」が出現した。
 鋳型や青銅器の鋳造に代表される独特な特徴を持ったこの文化の風が新彊、青海、
甘粛更に汾渭平原に吹き込み、長江流域の丹淅一帯まで及んだ。このことは、現在、
南の水を北へ送る南水北調プロジェクトの貯水池エリアにある下王崗遺跡から出土
したセイマ・トゥルビーノ型の4本の青銅の矛(ほこ)が物語っている。

 中央アジアと北アジアでは貝、トルコ石、銅器などに代表される文化及び大麦、
ヤギ、羊、牛が天山山脈周辺の谷や川を通って、トルファン盆地、河西回廊を経て、
中原、長江流域にまで至った。
 河西回廊張掖のオアシスにある西城驛遺跡からは、約4000年前の鉱石、るつぼの
かけら、ふいご、スラグ、石の鋳型などが出土しており、北アジアから伝わった伝
統的な鋳造法が河西回廊でローカライズされ生産拠点を形成したことが示唆されて
いる。
 このような赤胴、ヒ素青銅及びスズ青銅を用いた武器や道具の鋳造技術とその知
識体系は、竜山文化晩期から夏、殷時代の輝かしい青銅器文明の比較的複雑な複合
的鋳造法で製作された青銅の礼器に直接的なルーツを持つことが明らかである。

 重要なことは、小麦や大麦及びその栽培方法が先史時代の中国文化圏に入ってか
らごく短期間に竜山社会に広まったということである。竜山文化晩期の新彊の古墳
溝、小河、甘粛の東灰山など十数カ所の遺跡から、明確な小麦の遺物が見つかって
いる。
 この中で、東灰山遺跡では4500―5000年前までさかのぼり、小麦だけでなく、大
麦や黒麦も見つかっている。黄河下流域では、山東省の日照市の両城鎮遺跡と聊城
市の教場鋪遺跡から竜山文化期の炭化した小麦が発見されている。
 注目すべきことは、植物考古学と考古遺伝学の両面から、約8000年前に中国北部
で普及していた粟が、4500年前に中央アジアへ、3500年前に東ヨーロッパに広まっ
たことが示唆されていることである。

 遠距離の交流は、より多くの技術と宗教をもたらし、その中でも宗教の伝播はと
くに急速だったようだ。竜山文化期の山西省臨汾市の陶寺遺跡や下〓(*3)遺跡から
出土したトルコ石や白玉をはめ込んだブレスレット、貝殻、銅の鈴は、審美的に美
しいだけでなく、富と中央アジアや北アジアからの神秘的な宗教のパワーを感じさ
せる。
 北アジア交流圏、中央アジア交流圏及び中国先史時代の交流圏が4000年前には融
合していたことは確かである。現在知られている「一帯一路」の「一帯」は、少な
くともこの時期には既に基本的に存在していた。

〈文化的交流が生んだ多元一体の独自文明〉
 文化の相互交流によって、他の文化や社会的要素が主体文化に吸収された上で、
それが放棄されたり、修正や新機軸を打ち出されたり、あるいは融合して新しい考
古学的文化が形成されることがある。
 先史時代の異なる地域での多様な考古的な文化的相互交流は、一定の程度で、多
元一体的な中国文明形成の重要な要因であった。陶寺文化のような特定の考古学文
化によく見られる複雑で多様な周辺文化要素は、その社会の統治や儀礼に異なる地
域集団が関与していたことを反映しているのかもしれない。

 北アジア、中央アジア及び東アジアの三つの交流圏の比較的密接なかかわり合い
が早期の中国社会に新しい技術的知識、新しい動植物、そして新しい宗教的認識を
もたらした。銅器、トルコ石及び貝殻などのような交流の物的な証は、竜の形をし
た器、礼楽器及び銅製の祭礼用具などの王権や文明を象徴する伝統的な存在に加え、
新しい象徴として徐々に早期中国文明に受け入れられていったのである。

 この広範で長期間にわたる深い文化交流の結果、文化的な「多面性」と「中心」
の二つが直接的にもたらされたのである。前者は理解しやすく、後者は重ねて解説
が必要である。
 文化的相互交流の結果、先進的な政治と科学技術文明がどこかの文明に必ず出現
し、他の地域文明は次第にこの先進的な「実験」に同調し、地理的単位や文化さえ
も超えた思想的合意を形成し、文明の「中心」となっていくのである。地理空間の
正統性に基づいて、この中心は更に意識の上でも「正統」となり、「文化遺伝子」
の系譜として受け継がれていくのである。

 要するに、マルクスが語っているように「この発展過程において、相互に作用し
合う個々の領域が拡大すればするほど、つまり、個々の民族の原初的な閉鎖性が、
より発達した生産様式や交通によって、また、これによって自然発生的にもたらさ
れる諸国民間の分業によって、廃棄されればされるほど、それだけますます歴史は
世界史になっていく」のである。
 文化交流の意義は、互いに学び合い、自己を超越し、あらゆる文明の成果を全て
共有することであり、文化交流の発展は、全て文明への絶えざる歩みなのである。
 行動規範は文明的な観点に基づいている。ちょうど、数千年にわたる文化的遺伝
子が「多元的、融合、温和、協力」という文明的観点をもたらしたからこそ、今日、
世界の相互交流の体系において、「文明相互学習、運命共同体」という国家の行動
規範がもたらされたように。
 文化は相互交流があるからこそ多様性が生まれ、文明は相互学習があるからこそ
素晴らしいものになる。それぞれの美しさだけでなく、美しさと美しさの相互作用
によってこそ、美しさを共有できる。
注)〓(*1)は、さんずいに「文」。〓(*2)は、やまかんむりに「卯」。〓(*3)は、
「革」に「斤」。
〔中国新聞網2022年1月21日〕
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●「ビジネス企業研修@中国」 http://www.bizchina.jp/
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(83号以降 2000/9/25―) http://www.bizchina.jp/ja/nweek/
●《中国最新情報――編集者コラム》http://ameblo.jp/jckc-colum/
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編集長:李年古/副編集長:前野貴子 特別協力:劉莉生
翻訳:竹内はる菜 澤田裕子 楊桃 村井好子
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