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電子マガジン・中国最新情報
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教育・文化ウオッチ@中国最新情報 No.806 2024年1月3週号
発行:《中国最新情報》編集部 http://www.bizchina.jp/
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龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰

     謹賀新年 本年もよろしくお願いします。
                    中国最新情報編集部

辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍辰龍

━【目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏【特集:料理したくない若者が考える食費節約】
●1年間9999元 5つ星ホテルビュッフェ年間パスポートは割に合うのか?

┏【東西問】
●長江文化、長江から世界へどのように展開していくのか
●台湾料理における中華の「遺伝子」はいかに形成されたのか

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……【特集:料理したくない若者が考える食費節約】………………………………
●1年間9999元 5つ星ホテルビュッフェ年間パスポートは割に合うのか?
 料理をしたくない、テイクアウトもお断りという、最近の若者の多くは「食欲」
を落ち着かせるのに、高級ホテルのビュッフェの年間パスポートに目を向けている。
 多くの若者がホテルのビュッフェに夢中になり、一日3食をホテルで済ませるこ
とさえ選択していることを取材を通して知った。「ホテルが食堂となり、食事の問
題で「消耗」しなくなった」という。
 ホテルビュッフェはなぜ若者をターゲットにしているのか?これは「お徳サービ
スの享受」なのか、それとも「ぼられている」のだろうか?

〈1万2888元で5つ星ホテルのビュッフェ年間パスポートを購入〉
▽会社員 テイクアウトより1日3食の方がお得
 サーモン、タラバガニ、子豚、ステーキ、ロブスター……毎日5つ星ホテルで3食
食べるのはどんな感じだろうか?。
 11月7日は呉さんが青島のある5つ星ホテルでビュッフェを食べて69日目だった。
普通の食事とは違い、呉さんが投稿する一日3食は特に豪華で、コメント欄のネッ
トユーザーは「同じような年間パスポートが欲しい!」と次々に声を上げた。
 呉さんによると、この年間ビュッフェパスポートを1万2888元で購入した。一日3
食食べることができ、会社からホテルまではわずか2―3分で、とても便利で、毎日
の食事に気をもむ問題も解決できる。
 通常食べ放題はテイクアウトで30―40元かかるが、ホテルのビュッフェほど種類
は豊富でなく、食材も保証されない可能性があるのに比べて、ホテルのビュッフェ
は非常に費用対効果が高いと考えた。「もし平日に一日3食食べても、1食当たりの
平均価格は約18元」
 呉さんは、今年8月8日から、5つ星ホテルを訪れて一日3食をビュッフェで食べる
生活を始めた。通うための動機づけのため、動画を撮ってSNSでシェアしたところ、
同年代の多くの共感を呼び、検索で話題になった。

▽成都市民 ホテルのビュッフェは、料理するのが嫌いな、1人で食事をする人に
ぴったり
 呉さんのような消費者は例外ではなく、成都の崔さんも、毎日ビュッフェで食事
をする生活を送っている。
 崔さんは、自宅近くの5つ星ホテルのビュッフェ年間パスポートを9999元で購入
した。大みそかやクリスマスなどの特定日を除き、年間340日以上のディナーに利
用できる。
 11月6日は崔氏がパスポートをつくって9日目となる。彼はほぼ毎日、仕事が終わ
ったらすぐにホテルに向かい食事をする。「計算すると、費用対効果が非常に高い。
同価格でこれに近い選択肢は非常に限られる」
 崔さんは仕事がとても忙しく、仕事を終えたら既に7時か8時、妻と子供たちは省
外にいるので、自分一人で料理をするのが面倒だったが、ホテルのビュッフェは選
択肢が多くて、手間が省けるという。
 「私はそこをなじみの食堂としているだけ」崔さんは、食べることに余り興味が
なく、以前は食事の時間になると何を食べようかと気をもみ始めていたという。

〈双11商戦では若者をターゲットに年間パスポートが人気〉
 11月11日を中心に行われる双11(独身の日)商戦期間中には、高級ホテルの多く
が、数千元から数万元のビュッフェの年間パスポートを販売していた。一見すると
高額な出費に見えるが、毎日分散して使えば割安に感じる。
 ある五つ星ホテルのスタッフによると、そのホテルでは現在ビュッフェ年間パス
ポートを発行しているが、売り上げは好調で、消費者の人気も比較的高く、宿泊客
の反応もおおむね良好であるという。
 11月7日に「大衆点評」ウェブサイトで調査したところ、呉さんがパスポートを
持っているホテルの昼食と夕食のビュッフェは1人当たりそれぞれ368元と598元で
ある。それに比べれば、1食当たり20元未満のビュッフェ年間パスポートは間違い
なくお得だ。
 同時に、長期間ホテルのビュッフェを食べると肥満につながるのではないかと心
配するネットユーザーもいる。この点に関して、呉さんは「私にはそのような心配
はない。1回の食事で食べ過ぎたら、残りの2回の食事ではサラダを食べるから」と
述べた。崔さんは、始めたばかりの数日は思わず食べ過ぎてしまったが、今では食
事量をコントロールし、栄養にも気を配るようになったという。「体重が増加しま
ったら元も子もなく、健康的な食事の当初の目的に反してしまう」
 SNS上では、多くのネットユーザーがビュッフェの年間パスポートに高い関心を
示している。ネットユーザーの中には「フィットネスの年間パスポートを買っても
数回しか行かないが、ホテルのビュッフェの年間パスポートならモチベーションが
上がる」と冗談を言う人もいる。
〔カバーニュース2023年11月8日〕

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……【東西問】……………………………………………………………………………
●長江文化、長江から世界へどのように展開していくのか
 巴山楚水から江南の水郷に至るまで、長江は中国の麗しい山河を育んできた。中
華文明の象徴の一つとして、長江文化はどのように芽生え、発展してきたのか。ま
た、どのようにして中国と国外をつなぎ、世界とのつながりを築いてきたのでしょ
うか。
 このほど、中新社の「東西問」独占インタビューに応じた湖北大学歴史文化学院
の鄭暁雲特任教授に語ってもらった。
 インタビューの概要は以下のとおり。

中新社記者:長江文化にはどのような意味が含まれているのでしょうか。

鄭暁雲:長江流域に住む人々はしばしば、長江文化は広範で把握しにくい概念だと
考えがちです。長江文化とは、長江流域に住む人々が長江との長期間にわたる相互
作用の過程で、その地域の自然地理環境に基づいて構築した、長江の特徴を持つ、
あるいは長江流域の独特な性質を持つ文化現象だと思います。
 長江に関する自然崇拝や文学芸術の創作を通じて、長江の水利施設や水運システ
ムの建設を構築し、また長江にちなんだ社会組織、社会生活、節句の風習が構築及
び形成されることにより、精神的、物質的、社会的な側面から、長江文化に対する
人々の認知、同一性、理解が形成されてきました。
 したがって、ある文化要素が長江文化に属するかどうかを判断するには、それが
長江の自然環境と人文環境に根差しているかどうか、ほかの大河川の文化と区別す
る特徴を持っているかどうかを見きわめなければなりません。


中新社記者:長江文化はどのように芽生え、発展したのでしょうか。

鄭暁雲:長江の文化の萌芽と発展に言及する際、二つの効果を述べる必要があります。

 一つ目は基盤効果です。長江文化は長江の自然環境に根差しており、人間と長江
の自然地理環境との相互作用によって発展してきました。
 長江流域は広大で、地形も多様であり、チベット文化、雲南・貴州文化、巴蜀文
化、荊楚文化など多様な文化が形成されています。中国で最も民族文化が豊かな地
域の一つである長江流域には30以上の民族が暮らしており、少数民族の文化も長江
文化の重要な部分を占めています。

 二つ目は融合効果です。長江文化はほかの地域文化、さらには海外の文化と互い
に影響を及ぼし合い、融合によって形成されました。
 時代的には、既に三国時代から、長江中流に位置する東呉は南シナ海諸国と交易
を始めて互いに使者を送り、南シナ海諸国は頻繁に朝貢に来ていました。この時代、
商業と造船の発展により、東呉とそれに続く政権は、チャンパー王国(現在のベト
ナム中南部)やフナン国(現在のカンボジア)を含む国々と頻繁に政治的及び商業
的な交流を持ちました。特にマレー半島を支配していたフナン国との緊密な政治的
及び商業的交流は、長江中流域と南シナ海諸国との交流を拡大させました。西方で
は、東呉、東西晋の時代に、西アジアや大秦(ローマ帝国)との交流も盛んになり
ました。
 空間的には、隋が春秋戦国時代の運河を基礎に、南北を貫く大運河を建設して、
長江と黄河、銭塘江、淮河、海河を結ぶことにより、文化交流が地理的な制約を突
破し、中国の政治、経済、文化に広く影響を及ぼしました。これらは全て長江文化
の開放性を示しています。

 東晋時代から北宋時代にかけての長江以南に都を建設する「衣冠南渡」により、
長江文化と黄河文化が交流し融合しました。二つの母なる川の相互融合、相互影響、
共同推進こそが、中国文明の進歩と発展を促進し、中国の国土を切り離すことがで
きない文化的総体としたのです。


中新社記者:長江文化は、世界の大河流域で生まれたほかの文化とどう違うのでし
ょうか。

鄭暁雲:第一に、大量の考古学的発見が、長江文化が悠久であることを裏づけてお
り、その起源は時代をさかのぼっています。例えば、考古学者が約1万年前の浙江
省金華市浦江県の上山文化遺跡で、穀物の殻の跡がある陶器の破片を発見しました。
これは、長江が少なくとも1万年以上の稲作の歴史を持っており、文化的な歴史も
伴っていることを示しています。

 第二に、長江はアジア最長の川として、全長6300キロ以上に及び、本流と支流は
19の省を流れています。チベット高原から東に流れ、異なる地域と民族の文化を育
んで、それらが一体となって長江文化の豊かさを構成しています。

 最後に、長江文化は古代から連綿と現在まで続いています。数千年前に長江流域
で生まれた稲作文化、玉文化、青銅文化などは中華文明の重要な部分となっていま
す。端午の節句のドラゴンボートレースや、ちまきを食べるなど、長江流域で生ま
れた伝統的な習慣は今も受け継がれています。

 世界の大河文明の中には、非常に早い時期に生まれ、長い歴史を持つものもあり
ます。しかし、これらの大河流域文化の連続性と豊かさは、長江文化とは比較にな
りません。
 例えば、チグリス・ユーフラテス川流域のシュメール文明は紀元前4000年頃に誕
生しましたが、現在では一部の考古学的遺跡を残すのみとなっています。
 南米のアマゾン川やアフリカのコンゴ川流域には、何千年の歴史を持つ集落文明
や都市遺跡がありますが、その発展の規模もレベルも長江のそれとは比較になりま
せん。


中新社記者:古代から現代に至るまで、長江の文化はどのようにして中国と世界の
架け橋となってきたのでしょうか。

鄭暁雲:長江は、古代から中国と世界を結ぶ重要な文化の「動脈」だったのです。

 例えば、長江流域は中国で最も古くから蚕が飼育されていた場所であり、これを
基盤として、大規模な絹の生産、加工、貿易が行われるようになりました。中国は、
絹を中央アジアや欧州と交易する手段として利用し、シルクロードを形成しました。
 シルクロードの初期から中期にかけて、商品貿易が多様化する以前は、長江の中
流域と下流域が重要な役割を果たし、交易路に運ばれる中心的な商品を供給してい
ました

 また、カラムシの繊維からつくられた布は、何千年もの間、中国の庶民に手軽で
安価な衣料素材として提供されてきました。カラムシの縄とカラムシで織った布が、
新石器時代の河姆渡遺跡と銭山漾遺跡から発見されています。時を経て、カラムシ
の栽培は長江以南から中原一帯へと徐々に拡大し、欧州諸国にも広まって、人類文
明の発展に不滅の貢献をしました。

 同じく、長江流域で生まれた漆器や磁器は、日本や韓国、欧州などに伝わり、現
地に大きな影響を及ぼしました。宋代以降、長江流域は中国最大の磁器産地となり、
同時に、海のシルクロード貿易の拡大により、磁器は海外に輸出される最大の貿易
品となりました。
 欧州の一部の国でも磁器の製造技術が根づいて、フィンランドやポルトガルなど
には多くの磁器生産工場があり、染付の磁器が、日用品、装飾品、大規模な室内装
飾品として大量生産されています。

 以上の例から、長江文化が国内外の精神文化、物質文化、社会文化に広範な影響
を及ぼしてきたことがわかります。


中新社記者:新しい時代において、長江の物語をどのように語り、長江文化を通じ
て世界との対話をどのように進めるべきでしょうか。

鄭暁雲:第一に、共通の関心事という観点から長江を語るべきです。
 気候変動と環境保護は世界的な課題であり、同じ河川流域の人々は河川流域の質
の高い発展と持続可能な発展に重大な関心を持っています。長江文化は長江流域に
根差し、人類と長江の長い関係を通して形成されてきたので、人類が共通の関心事
を解決するための手本と経験を提供することができるのです。

 第二に、環境保護は人類社会の発展における時代の大勢であり、長江の物語も時
代を見据えて語られるべきです。
 長江文化の時代性を決定づけるのは、一つは、長江の歴史文化の発掘と考古学的
な発見が、学術的な観点から国際的に注目されていることです。もう一つは、長江
流域の自然環境の保護や、環境に配慮した社会の構築が、新しい時代の長江文化に
おける要素となっていることです。

 第三に、もっと国際的な学術交流を通じて長江の物語をしっかりと伝えるべきです。
 中国と海外の学者の研究協力を通じて、長江文化研究における中国と海外の成果
の相互学習を促進し、影響力があって発言権を持った学者のグループを育成するこ
とは、長江の国際的発信の権威と説得力を高めることになるのです。
〔中国新聞網2024年1月1日〕

●台湾料理における中華の「遺伝子」はいかに形成されたのか
 台湾の人口は2300万人を超え、その8割以上が福建省と広東省出身の子孫である。
人々の食生活は福建省や広東省に似ている。1949年以降、中国全国各地の人々が故
郷の料理を台湾に持ち込んだ。さまざまな時代を背景に、各地の料理が台湾で発展、
融合、革新し、有名な台湾料理が誕生した。
 台湾の美食家である朱振藩氏は先ごろ、中新社の「東西問」の独占インタビュー
に応じ、台湾料理における中華の「遺伝子」について語った。
 インタビューの概要は以下のとおり。

中新社記者:台湾における食の発展はどのようなものでしたか。

朱振藩:昔、中国大陸から台湾へ渡ったのは主に福建省の人々で、現在、台湾の人
口の7割以上が福建省南部からの移民の子孫です。
 そのため、当時の台湾の食生活は福建省と似ていて、泉州、〓(*1)州、福州、汀
州(現在の福建省長汀県)の客家料理が中心でした。その後、広東省の恵州と潮汕
地区からも住民が相次いで台湾にやってきて、広東の料理ももたらされました。

 日本統治時代、台湾で最も代表的な高級中華料理店「江山楼」「東薈芳」「春風
楼」「蓬莱閣」は、「江東春蓬」と呼ばれる四大料理店でした。
 その中で、蓬莱閣は、激しい競争に打ち勝ってより多くのお客様を魅了するため
に、広州にあった孫文氏の大元帥邸の料理人だった杜子〓(*2)を筆頭に、福建、広東、
四川の料理人たちを台湾に招き、「台湾料理」を充実させたのです。

 1949年には、中国大陸から多くの人々が台湾にやって来ました。その中には中国
各省の飲食業界の人々も少なくなく、それぞれの本場の味が伝えられました。
 それ以前は、台湾のレストランの料理は、地方のスタイルが混在する「折衷地方
料理」ということができます。
 台湾に本格的な各地方料理が入ってきてからは、「折衷地方料理」は余り人気が
なくなりました。店主たちは粥や小皿料理など、いわゆる「新台湾料理」の店に衣
がえし、発展し続け現在に至っています。
 また、「折衷地方料理」から発展した有名店もあるので、中国大陸からのお客さ
んの多くは「台湾料理」からも親しみやすい味を感じることができるでしょう。


中新社記者:中華料理には山東料理、四川料理、広東料理、江蘇料理、福建料理、
浙江料理、湖南料理、安徽料理の八大料理がありますが、台湾ではどこの料理が人
気なのでしょうか。

朱振藩:台湾は面積が狭くて、シェフやレストラン経営者の移動も多いため、終始
変わらず一つの系統の料理にこだわる中華料理店は珍しく、折衷的で総合的な料理
が多いのが特徴です。
 台湾では、さまざまな系統の料理や味が交錯して受け継がれ融合して、時代の変
化の痕跡が随所に見られます。

 別の見方をすれば、1949年以降の台湾の料理は、「官菜」「軍菜」「商菜」の3
つに分けられます。
 いわゆる「官菜」とは、江蘇・浙江料理のことを指します。蒋介石氏とその息子
が寧波出身だったため、寧波料理が台湾で最初にはやりました。その後、当時の党
や政府の高官に江蘇省や浙江省の出身者が多いことから、蘇州料理、杭州料理、上
海料理の専門店が次々とオープンし、「官菜」として親しまれるようになったのです。
 当時の国民党軍では湖南省や四川省の出身者が多かったため、香辛料のきいた四
川料理や湖南料理が軍人の間で好まれ、「軍菜」と呼ばれるようになりました。

 「商菜」については、台湾経済が急速に発展しピークに達した1990年代の初め、
株価の高騰により多くの人々が豊かになりました。経済力が向上し、食においても
高い消費需要が生まれました。その結果、高価な「海鼠、ふかひれ、鮑、浮き袋」
料理を提供する香港式レストランが急増しました。ビジネスマンの宴席で選ばれる
ことが多いので、香港式海鮮料理は「商菜」とも呼ばれています。
 台湾の経済成長に伴い、世界中の海産物が台湾に集まってきました。食通の間で
は香港式海鮮料理が広く愛され、「官菜」「軍菜」もそれに引き寄せられるように
人気となったのです。
 「官菜」「軍菜」「商菜」のほか、人々の毎日の食卓を彩る家庭料理は、主に湖
南料理と四川料理を組み合わせたものに北方の炒め物を加えたもので、江蘇・浙江
料理や広東料理の要素も取り入れられています。
 台湾の多くの大衆食堂では、これらの味をバラエティー豊かにそろえています。
「南北合」と名づけられたレストランが多く、南部と北部の料理が楽しめると人気
を集めています。


中新社記者:今年の夏、中国大陸のネットユーザーが台北の街角にある山西刀削麺
の店を地図で見つけてより親近感を覚えたそうですが、この現象についてどのよう
に思われますか。

朱振藩:確かに、台湾の軽食は中国大陸の各地域と密接に結びついたものが多いです。
 台湾の街角では、刀削麺だけでなく、四川坦々麺、宜賓燃麺、山東大餅、上海包
子など中国大陸の地方名を冠した軽食店を多く見かけます。山西刀削麺は、山西省
出身の退役軍人や軍属が暮らす眷村で開いた軽食店から始まり、後に各地に広まり
ました。

 当初、これらの店はそれぞれの地方の出身者がみずからの故郷の味を台湾に持ち
込んで開いたものでした。その後、台湾では、不況時に技術を習得して雇用をふや
すために職業訓練所が設立され、調理訓練コースには、さまざまな地方の料理や点
心づくりも含まれていました。
 その技術を習得した人がレストランや軽食店を立ち上げ、ますます多様化してい
ったのです。

 時代の変遷とともに、台湾の軽食はオリジナルをベースに台湾風になって発展し
ていきました。
 例えば、台湾の夜市で人気の「大腸包小腸」は、広東省潮汕由来のもち米のソー
セージに切り込みを入れて台湾風のソーセージをはさんだもので、アメリカンホッ
トドッグに似ています。
 台湾土産として有名な「鳳梨酥」(パイナップルケーキ)も広東省潮州の伝統的
なお菓子に由来します。台湾では、四角いお菓子を金色のレンガのように焼き上げ、
店主はその縁起のよさから、フィリングや味とは関係のないミンナン語の栄えると
いう意味の「旺来」と同じ音の「鳳梨」(パイナップル)と名づけたといいます。
 そのため当初、パイナップルケーキのフィリングはパイナップルではなく、冬瓜
のペーストでした。近年になってようやく、製造業者がパイナップルをフィリング
として使用するようになり、名実ともにパイナップルケーキになりました。

 台湾の「〓(*2)瓜麺」は福建省の福州乾麺がもとになっています。調理が簡単で、
ゆで上がった麺に、店内に貼ってある材料表を参考に、醤油、ごま油やラー油など
を自分で入れてもらうというものです。このシンプルなセミセルフサービススタイ
ルの麺は、「愚者の麺」と呼ばれるようになりました。
 このような麺屋では、卵のスープや福州風つみれなど、福州風の軽食も提供され
ています。同じく福州発祥の線麺(そうめん)は、台湾の軽食店でも人気がありま
す。牡蠣(小粒のカキ)などの地元食材を加えた牡蠣米線(太めのビーフン)はど
こでも食べられるようなりました。

 最も有名な軽食は、台湾で発展した小籠包です。
 1948年、山西省出身の楊秉彝(ヤン・ビンイー)は単身裸一貫で台湾に渡り、油
問屋の配送員をして生計を立てていましたが、その後、油問屋「鼎泰豊」を創業し
ました。事業拡大を図るため、小籠包を製造し、最終的には国際的な名店となり、
小籠包の最高の代弁者となりました。


中新社記者:日本料理や西洋料理は、台湾の食卓にどのような影響を与えましたか。

朱振藩:50年にわたる日本の台湾植民地支配は、台湾の食に大きな影響を与えました。
 私見ですが、これらの多くは日本発祥のものではありません。
 例えば、日本料理に欠かせない味噌は、南北朝時代に現在の江蘇省鎮江市の金山
寺から日本に伝わりました。
 一方、すしは雲南省の魚の熟成方法に由来するもので、刺身とともに唐の長安を
経て日本に伝わったとされます。刺身を食べたという中国の記録は周の時代にまで
さかのぼり、周の皇帝の献立では淡水魚が食べられていましたが、日本では、場所
によって、海水魚が刺身の材料として使われています。
 日本統治時代以前、台湾の高雄や屏東地方では既に淡水魚の刺身が普及していま
したが、日本の影響を受けて、徐々に海水魚に切り替わっていきました。
注)〓(*1)は、さんずいに「章」、〓(*2)は、かねへんにりっとう、〓(*3)は、に
んべんに、「俊」の「ム」を、「白」の中央の横線を「×」にする
〔中国新聞網2022年12月29日〕

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編集長:李年古/副編集長:前野貴子 特別協力:劉莉生
翻訳:竹内はる菜 澤田裕子 楊桃 村井好子
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