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電子マガジン・中国最新情報
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教育・文化ウオッチ@中国最新情報 No.805 2023年12月2週号
発行:《中国最新情報》編集部 http://www.bizchina.jp/
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━【目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏【特集:都市化の進展がもたらした消費拡大の前借り社会】
●前借り社会 年が若くても借金漬けが若者の日常に 上

┏【国際】
●生命の共鳴、音楽は洋の東西を超えて
●私たちが望む人類文明とは

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……【特集:都市化の進展がもたらした消費拡大の前借り社会】…………………
●前借り社会 年が若くても借金漬けが若者の日常に 上
 ここ十数年で、中国の末端社会は急激に変化している。県域(中国の4つの行政
区分(省地県郷)のうちの3番目)を中心に都市化が急速に進んだ。統計によると、
中国の都市化率は既に65%に達した。その一方で、そこのいる個々人には、その生
活習慣と行動原理によって、顕在的、潜在的な影響がもたらされている。

 末端社会と個々人の行動の変化をどのように理解すればいいか。このことについ
て10個のキーワードを用いて話そうと思う。
 最初のキーワードは、「前借り社会」である。

問:「前借り社会」という言葉はどこから来たのか。

呂徳文:これは私と私のグループが観察してまとめたもので、私が主に説明者であ
る。ここ数年私たちのグループが行った大規模な調査によって、この社会形態があ
ることにはっきりと気づいた。

 ここ数年で、私は調査する中で多くの若者に会ったが、20代で既に多くが借金漬
けになっていることはとても衝撃的だった。若者が一人暮らしをしていれば、家計
負担がないのだから、自分で稼いだお金で十分賄えるというのが道理である。
 例えば、私の世代のように、私の同級生は中学を卒業してから働きに出れば、普
通は自分で稼いだお金で自活できるし、お金を貯めて家に仕送りする人もいる。
 私たちの世代の行動原理は、基本的には前の世代を継承したもので、どれだけの
お金でどれだけのことをするかである。特に消費は慎重になるはずで、身の丈に合
わなければ頑張って消費しないはずである。
 しかし、前借りということが、ある意味で既に現在の若者の日常生活になってお
り、借りられればそれを使い、いつも借金がある。借金を返済し終えて、気楽でス
トレスのない日を送りたいと思っても、ほとんどの人は永遠に終わらないのは、前
借りをする消費習慣が既にできていて、それが無意識な行動になっているからである。


問:昔も、借金をして消費することはあったが、これが今のいわゆる「前借り社
会」とは何が違うのか。

呂徳文:以前であれば、前借りする相手は自分の知り合いであり、その前借りする
限度額も非常に限られていた。知り合いの間には信頼メカニズムがあって、それに
よって自分の欲望に抑制がきいたのである。

 例えば、私がお金を貸すとして、初めて私がお金を貸してから、2回目のときに
以前の返済がないとすれば、貸すべきかどうか迷うことになる。3回目にまた貸す
ことになれば、私は相手の信用が破産していることを知ることになる。
 人からお金が借りられなければ、自分の消費行動や生活習慣を反省して、自分を
変える人もいるかもしれないが、現在、ネット融資の特徴の一つは、厳格な本人確
認や制約メカニズムがないことである。

 私が以前インタビューした人に、身分証明書を1枚さえあれば10万元借りられる
と言う人がいたが、10万元というお金は何を意味しているだろうか。彼の当時の月
給は4000元ぐらいであり、10万元ためるには少なくとも5年間働かなければならな
いということだろう。5年後にならなければ10万元はためらないという消費水準で
ある。
 インターネット金融が発展してから、若者は5年前倒して消費できるが、それが
習慣になり、永遠に5年前倒したり、10年前倒す者まで出てきた。身分証明書で10
万を前借り、不動産登記簿で100万、200万と前借りする。ある意味で、インターネ
ット金融は消費社会の論理を加速的に膨張させていると思う。


問:個人の消費意欲を拡大させているということか。

呂徳文:はい、個人の欲望を極度に拡大させている。全ての人が自分が金持ちだと
思い、卒業したら10万元使えると思っているのではないか。実際には10万元はそん
なに大きな額ではなく、すぐに使い切れてしまう。しかし、最初から10万を借りて
しまえば、その後どんどん借りてしまって、最後には借金にたえられなくなるかも
しれない。
 これは私が今日の若者の生活原理を研究していたときに遭遇した大きな衝撃であ
って、これが私がこの問題を考えるきっかけの一つである。


問:前借り行為は若者の生活習慣にすぎないようだが、社会問題化していると言え
るのか。

呂徳文:若者だけでなく、今日の私たちの社会全体がそうなっていて、都市化が急
速に進むにつれて幾つかの現象があらわれてきている。

 まず第一に、誰もが都市化された生活様式を送ることになったが、都市化された
生活様式の前提には家と車という2つのものがある。若者はお金を持っていないの
で、結局、家や車のコストは中高年に直接転嫁され、彼らも前借り状態に至っている。


問:前借りする対象が移動している。

呂徳文:はい。だから、現在は中高年も前借り状態になっている。それは、子女の
結婚のためには家と車を用意しなければならないからである。家と車を合わせると
100万はなくても80万にはなる。中西部地域であれば50万はどうしても必要だが、
このお金はどこから来るのか。
 これは、都市化がもたらした第一の影響である。
(次号に続く)
〔騰訊新聞2023年10月31日〕
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……【国際】………………………………………………………………………………
●生命の共鳴、音楽は洋の東西を超えて
 「まずは即興で演奏しましょう」
 中新社の「東西問」の独占インタビューに先立ち、ピアノの前に座っていた孔祥
東氏は、インスピレーションを受け弾き始めると、黒鍵と白鍵が踊るように、即興
演奏が流れた。

 即興演奏は、この世界的に有名なピアニストにとって、音楽を通じて世界とコミ
ュニケーションをとるための重要な手段だ。音楽と一体化し、常に常識を打ち破り、
自分自身を打ち破ろうとする孔祥東氏の気質のあらわれでもある。
 17歳で国際的な舞台に立ち、国際ピアノコンクールで2年連続最年少優勝を果た
し、音楽界で有名になった孔祥東氏は、中国のピアニストにとって数え切れないほ
どの「初」を生み出してきた。欧米のメディアからは「100年に1人か2人の真にエ
キサイティングな天才ピアニスト」と絶賛されている。

 孔祥東氏は、賞や称賛に加え、ピアノ教育を普及させるために音楽芸術センター
を設立したり、ポップスの創作に参加したり、墓地でコンサートを開いたり、音楽
で精神病患者を癒したり、デジタル音楽コレクションを制作したりした。
 こうした「クロスオーバー」の試みの一つ一つが即興演奏のようなもので、「音
楽を使ってより多くの場の人間性とつながる」ことを可能にしている。孔祥東氏に
とって、音楽は人生のようなものである。
 中国の伝統文化に根ざしているだけでなく、東西の違いを超えて、今この瞬間を
表現するだけでなく、包括的な方法で広範な精神的共鳴を呼び起こすことができる
のである。

〈「四つの音」が奏でる「即興人生」〉
 「私は、出会った人々や出来事から得た一瞬のインスピレーションや、その瞬間
の感情を捉えるのが好きなんです。これは芸術の非常に重要な存在要素です。即興
演奏は、クラシック音楽の伝統的なパターンや長年の演奏習慣を覆し、インスピレ
ーションによって指を動かします。毎回の演奏がそのとき限りのもので、再現でき
ません」

 一曲が終わり、時は1985年に戻った。ピアニストの劉詩昆氏の授業で、孔祥東氏
は初めて「普段、即興でピアノを弾きますか」と聞かれた。
 「楽譜どおりに弾くだけでなく、即興演奏があること、そしてその創作形態が国
際的にとてもポピュラーであることを知ったのはそのときが初めてでした。
 その後、留学先でも多くの音楽家から、クラシックのレパートリーを弾いて得た
インスピレーションをもとに即興でカデンツァを弾くことを勧められました。1992
年のシドニー国際ピアノコンクールでは、私が弾いていたモーツァルトの協奏曲の
ために即興でカデンツァ楽章を創作したことで、1等賞に加えて特別演奏賞も受賞
したのです」

 即興演奏は人生の道のようなもので、孔祥東氏に伝統的なピアノ演奏を超えた音
楽の無数の可能性を探求させ、8年間のうつ病の時期を乗り越える助けにもなった。
 「当時は誰にも会いたくなかったのですが、親戚や友達がたくさん来てくれて、
断り切れずに中に入れていました。話したくなかったので、ピアノを弾いて聞かせ
ました。最初はベートーベンやショパンなどのクラシックを弾いたら、とても喜ん
でくれました。でも、本当のコミュニケーションができていないと感じたので、即
興で演奏するようになりました。みんなはいいと思っていましたが、それでも音楽
に感動していないように感じました。
 そこで、私は「4音の曲」を演奏することを思いつき、白鍵2つと黒鍵2つを指定
してもらい、その4つの音をもとに演奏することで彼らの物語や感情を表現し、
「音楽的肖像」を形成しようとしました。このとき、多くの人が音楽に感動し、中
には涙を流す人もいました。それに私自身も衝撃を受け、音楽の相互作用はもはや
表面的なものにとどまらず、互いの心の中に入り込んでいったのです」と振り返った。
 あらゆる病気は気から生じ、音でとまる。孔祥東氏は来る日も来る日も「四音
曲」の即興演奏と生命の実感に癒やされ、うつ病から抜け出した。2000人近くの友
人も、孔祥東氏から自分たちの「音楽的肖像」を聞いた。

 なぜ黒鍵と白鍵がそれぞれ2つずつなのか。孔祥東氏は、黒は人生における苦悩、
疑念、悲しみのようなものであり、白鍵は希望、憧れ、陽光を象徴している。黒と
白は人生のバランスをあらわす。この4つの音で「人生の青写真のカラーブロック
を描くことができる」と考える。
 音楽によって孔祥東氏はより多くの人生とつながり、人生をより深く理解し尊重
するようになった。白と黒の鍵盤、白と黒の音の奥には、人生に関する情報や感情、
人生に対する無力感やため息、人生に対する衝撃や驚きが詰まっている。

 孔祥東氏が上海音楽高校で師事した中国のピアノ教育者範大雷氏の没後30年に当
たる今年3月15日、孔祥東氏は師の墓がある上海濱海古園の広場で「人生歌のごと
き」と題した音楽追悼式を行い、師が生涯愛したラフマニノフのピアノ曲を演奏した。
 音楽家として初めて墓地で演奏し、恩師の墓前でライブを行うという悲願を達成
した。「墓地での演奏は、過去を振り返り、未来を受け入れ、死に向かって現在に
感謝するという意味合いが強いと思います」

〈音楽を制すれば、どこでもステージになる〉
 「即興」が音楽から人生へと広がっていく。孔祥東氏は長年にわたり、音楽を原
点として「誰もやったことのないことをやる」ことで音楽の人生がより豊かな次元
を持つようにしようとしてきた。
 1997年には、教育を通じてピアノ芸術の普及を図るため、上海に孔祥東音楽芸術
センターを設立した。2000年には、ポップスの「愛〓一万年」の制作に参加し、ク
ラシックの魂とポピュラー音楽を衝突させてスタンダードとなった。
 うつ病から回復した後、上海精神衛生センターに戻り、チャリティーのために演
奏を行って、心理的な癒やしをもたらす音楽を開発した。2021年には、上海郵便・
コインカード取引センターと共同で「孔祥東オリジナルデジタル音楽コレクショ
ン」シリーズを発売し、音楽の美しさをデジタルの世界に広げた。

 孔祥東氏は、音楽の偉大な柔軟性は、その包容力に由来すると考えている。
 「1994年に初めて米国ロサンゼルスに来たとき、イタリアの人間国宝級作曲家ジ
ョルジョ・モロダー氏(代表作には1988年ソウル五輪テーマ曲「ハンド イン ハン
ド/Hand in Hand」、1990年イタリアW杯サッカーのテーマ曲「イタリアの夏」な
どがある)と出会いました。私たちは10年以上の付き合いになり、「愛〓一万年」
や2008年の北京オリンピック・ソング「永遠の友/Forever Friends」など、何度
もコラボレーションしてきました。
 しかし、モロダー氏がほとんど楽譜を読めないというのは考えがたいことですが、
作曲の際にはメロディーを口ずさんで、アシスタントが採譜をし、その音を聞いて
よし悪しを判断しました。彼は正式な音楽教育を受けたことがなく、耳とひらめき
と才能で作曲し、アカデミー賞を3度受賞しました。
 モロダー氏は私に大きな窓を開けてくれて、音楽は海のようなものだと真に理解
させてくれました。ジャズ、クラシック、ポップス、ロックなどのカテゴリーは
「大海の一滴」にすぎません。人々の異なる感情的ニーズのために異なる音楽が存
在するのです」

 音楽を理解しているからこそ、孔祥東氏は音楽を使って人生をより深く解釈し、
自分の「音楽の舞台」を拡大しようとしているのだ。「音楽の「楽」という言葉は
「薬」と同じ音で、繁体字中国語の「薬」という言葉にも「楽」が含まれているの
で、音楽は心を癒す薬なのです」。
 孔祥東氏は、精神医療の分野への音楽の「クロスオーバー」について、このよう
に説明している。「現時点では、既知の医療手段では人々の特定の感情的及び精神
的問題を治すことができません。そのため、音楽と芸術は非常に効果的な方法であ
ると思います」

 デジタルコレクションという「初物を試す」ことに関しては、「デジタル時代に
は新しいことがたくさんあり、その多くは人間の最高の知恵が凝集されているので
す」と孔祥東氏は笑顔で話した。常に新しいことに挑戦することで、音楽の現状と
今後の方向性を体験し、全く新しい音楽の種類を形成することもできる。
 しかし、音楽は人と人との間に結ばれた感情の磁場に由来するものであり、デジ
タル技術は結局のところ、感情を表現し伝える人生経験と共鳴することは難しいと
孔祥東氏は考える。
 「音楽の核心」は愛であり、ピアノを弾くのは才能を発揮するためではなく、ま
ずは自分のために弾くことであり、自分が感動してこそ、聞く人を感動させること
ができるのです」孔祥東氏の目には、音楽芸術の成長への道は長く、忘我の境地に
達して初めて道が広くなる。「音楽を制すれば、どこにいてもステージになる」

〈音楽は「伝統に根ざして、東西で輝く」〉
 孔祥東氏は18歳で米国に留学し、24歳で「海外中国名家演奏団」を結成し、中国
に戻っての演奏は、新中国建国以来最大の帰国留学生団体となった。29歳のとき、
米国ロサンゼルスで行われた歌と踊りと音楽と花火のショー「ブラボーチャイナ」
に参加した。洋の東西を超えた、伝統文化に根差した音楽をつくることが孔祥東氏
の普遍的な使命となった。

 「私は音楽が非常に抽象的な芸術であると常に信じてきました。しっかりとした
文化的基礎がなければ、含意を豊かにするために具体的な芸術を使用するに及ばず、
抽象的な表現方法は貧弱で生彩を欠いたものになってしまいます。
 私は常に、非常に具体的な中国文学、さらには言葉の探求を通じて文化の継承を
理解したいと願ってきました。それは、最終的には鍵盤に触れるタッチにあらわれ、
私の創造的なインスピレーションに反映され、それはまた、聞く人全てに伝わるは
ずです。音楽アーティストにとって、文化は蓄積され、交錯し続け、最終的に光り
輝くのです」と孔祥東氏は語った。

 孔祥東氏は、ピアノ、音楽、中国文化の間には不思議なつながりがあると考えて
いる。
 「ピアノには各オクターブに黒鍵が5つ、白鍵が7つあり、12の音を形成しており、
長調が12個、短調が12個あります。この24個の鍵盤は中国の二十四節気をイメージ
しやすいので、ずっと憧れていました。
 24の長調と短調を使用して、二十四節気の音楽を作曲します。実際、ショパンも
スクリャービンなども24の前奏曲を作曲しており、これらはピアノの歴史において
非常に重要な作品です」

 一方に中国文化、もう一方に西洋楽器があり、中国と西洋の音楽は本当に器楽の
相和ができるのか。
 「芸術創作では、人生に対する人間の感情をさまざまな方法で解釈してきました。
見た目の類似性を追求するものもあります。例えば、中国の民族楽器による伝統音
楽や古くから伝わる音楽をピアノ用にアレンジする試みは数多くあり、いずれも大
成功を収めています。もう一つは内面的な類似性です。例えば、古譜で詩が詠唱さ
れる方法を手本に、私は即興演奏を使って自作の100以上の自由詩に曲をつけ、詩
の雰囲気を表現してきました」

 孔祥東氏によると、中国には非常に強い文化的伝統と遺伝子があり、それが音楽
における中国の文化的自信の「原版」を構成しているという。
 「例えば、「君子の六芸」のうち、「音楽」は第2位です。孔子は「楽経」を編
纂しました。友人や親戚が集まれば「月の下で歌う」、太平の世は「歌って踊って
平和である」と言われています。しかし、文化は絶えず学び、理解する必要があり
ます。しかし、文化は常に理解し、吟味する必要があり、生活とともに変化するも
のです。だから、継承以外のことでも、私たちはまた、全ての人類の文化の本質を、
一歩ずつ受け入れなければなりません」

 米国のハリウッドボウルで演奏した初の中国人ピアニスト、オーストリア文化省
に招かれてウィーン楽友協会金色大ホールでピアノソロコンサートを開催した初の
中国人音楽家、チベット自治区ラサで大規模なコンサートを開催した初のアーティ
ストとして、孔祥東氏は音楽の文化的包括性を強く信じている。

 「現在、ますます多くの中国の音楽家、作曲家、さらには民族楽器が西洋のクラ
シック音楽の舞台に登場していますが、これはすばらしい現象です。しかし、中国
人の思想や感情が音楽の橋を通じて世界中の人々の鼓膜と心に届くように、中国の
音楽家はもっと広い心と時代感覚を持たなければなりません。
 実際、東洋と西洋というラベルを取り除いても、中国音楽の「基調」を変えるこ
とはできません。なぜなら、私たちの体内を流れる血液が私たちの音楽の要素であ
り、脈動であるからです」と孔祥東氏は語った。
注)〓は、にんべんに「尓」
〔中国新聞網2023年10月23日〕

●私たちが望む人類文明とは
 人類の始まりと現代を比較すると、確かに現代において人類は、特に物質面、科
学技術面で想像を絶する偉大なことをなし遂げている。しかし、根本的で困難な問
題もある。
 物質文明は基盤であり、それは実際に優先的に満たされなければならず、不可欠
なものである。しかし、現代ではこの基盤が上部構造であり、最高の価値目標とな
っている。まるで、全ての成果は物質的利益によりはかる必要があり、人間のあら
ゆる知性は物質的成果の促進に投入されなければならないかのようである。
 人々の物事を制御する能力と物質的な生活レベルを高めることが最高目標または
全てになるとすれば、人間とは何か、人間を動物と区別するものは何か、さらには
人間を文明化以前の原始人と区別するものは何だろうか。つまり、文明にとって文
明とは何なのか。

〈文明とは何か〉
 文明の概念については、中国と西洋の間で本来の意味の初期理解に大きな違いは
なく、ある種の文明が開けた状態で、すなわち、野蛮や未開な状態から脱却した物
質的繁栄、知識の普及、政治的秩序と精神的形成の状態を指している。

 中国古代の賢人たちは早くから「文明」の豊かな意味に貢献してきた。
 「易経」の場合、「大有」卦の彖には「その徳剛健にして文明」とあり、「明
夷」卦の彖には「内文明にして外柔順、もって大難を蒙る。文王これをもってせ
り」とあり、「同人」卦の彖には「文明にしてもって健、中正にして応ず、君子の
正なり」とある。これは個人の徳という意味での文明である。
 そして、同時に、この徳を進化させ、教化し、世の中に広めるという意味もある。
例えば、「革」卦の彖には「文明にしてもって説び、大いに享りてもって正し」と
あり、「乾」の文言には「見竜田にありとは、天下文明なるなり」とあり、「賁」
卦の彖には「柔軟交錯するは天文なり。文明にして止まるは人文なり。天文を観て
もって時変を察し、人文を観てもって天下を化成す」とある。

 これは既に今日の「文明」「開化」の意味をかなり示唆しているが、長い歴史を
持つ中国の伝統的な思想では、文明の核心は主に人文精神と徳行の普及と変革であ
り、物質及び政治的文明とは直接関係ないものであった。
 つまり、文明とは、物質文明、政治文明、精神文明も包括したものでなければな
らない。人類文明の創成期における歴史的変化も、物質的基盤から政治秩序へ、更
に精神的創造へと、大まかにこのような過程とリズムを踏襲している。

 文明の現代の一端から見ると、地理的な大発見以降、特に産業革命と交流の円滑
化以降、人類全体がグローバル化した文明の時代に入った。その中には一部の原始
的部族が含まれ、他の非西洋文明も経済と技術を優先する現代文明の方向性にほぼ
同調するようになった。

 現代の工業文明、特に今日のハイテク文明の段階に入ると、物事を制御する能力
や生活水準は大きく向上したものの、精神的、道徳的な自己コントロール能力はそ
れに応じて高まっておらず、大きく向上させ継続的に改善することは人間にとって
困難であると言える。しかし、人間は考え反省することができ、自己の価値の追求
や行動様式を調整することができる。

 そもそも私が「文明の両端」という本を書いた理由もここにある。
 現在、世界的危機に直面し、人類は深い反省が必要なときを迎えている。反省の
ための適切な視点、文明の二つの端、すなわち文明が始まった一端と現代の一端で
ある。
 始まりは文明世界に入った後、物質的基盤、政治的秩序、精神文明の形態の基本
的に確立した時期、すなわち主要文明の根本的価値観が乖離し始める時期を指す。
現代の一端とは、人類が思想的啓蒙と工業文明以降の時代、特にハイテクが急速に
発展した時代を指す。

〈文明の両端〉
 人類の歴史は数百万年と比較的長いが、人類文明の歴史はそれほど長くなく1万
年程度である。人類の一部の集団が期せずして世界の大河の流域で耕作や家畜の飼
育を始め、農耕文明を特徴とする物質文明に入ったのは1万年余り前になってから
だと言える。
 今から5000年以上前に、人類は政治文明に突入した。今から約2500―3000年前に、
また偶然にもそれぞれの精神文明の価値体系が形成された。

 文明の始まりから8000年以上の歴史の中で、人類のそれぞれの文明は基本的に別
々であるが、物質的基盤の重視、神の信仰、武力の崇拝など多くの共通点を持って
いた。
 しかし、ドイツの思想家カール・ヤスパースが「軸の時代」(紀元前500年頃に中
国、西洋、インドなどの地域で同時にあらわれた人類文明的ブレークスルー現象)
と呼んだ時代には、精神的な創造が主要文明に影響を与える主導的価値となるにつ
れ、古代ギリシャの混合政体と卓越した中道、中国の賢人政治と道徳的ヒューマニ
ズム、中東のユダヤ教とキリスト教がもたらした一神教、インドのヒンズー教や仏
教などのように異なる文明間に明らかな違いがあらわれて、東西文明がはっきりと
分かれた。近代になると、各文明が大規模に出会い、相互の衝突や衝撃があった。
 このように、人類文明の全ての歴史は、「同―異―同」の分離と統合のプロセス
を経てきたことがわかる。その背後にある動因は、「物質が基盤であり、価値が主
導であり、政治が鍵である」という。

 人類の文明の両端には、主導的価値観において人間の物事を制御する能力の発展
と社会的物質生活の向上に非常に気を配っているという「共通」の側面がある。
 近代以降、人類世界には梁漱溟が述べた「東西は異なる路線」から「西も東も問
わない」への変化があった。すなわち、東洋西洋にかかわらず、ほとんどの国家は
経済発展を中心に据え、テクノロジーが経済を牽引してきた。
 特に、改革開放の数十年にわたる中国の経済発展の奇跡は、このような主導的価
値観の変化、数千年にわたって培われてきた中国人の勤勉、節約、教育重視や学習
に長じているといった美徳のおかげである。民意の尊重は、民間の「小さな伝統」
を社会的な「大きな伝統」へと変えていった。

 しかし、文明の両端には多くの違いがある。最大の違いは、文明の初期には主に
基盤構築の役割を果たした物質的な追求が、現代では主要または至上の追求になっ
ているように見えることである。
 さらに、文明の中間部分も無視することができない。主要な文明は、独自の自己
価値の追求を実践する2、3000年の歴史を有し、独自の特殊な文化伝統を形成して
きた。すなわち、近代化という価値目標は同じでも、目的を達成する道筋は全く異
なる。繁栄へ至る道筋は一つではない。

 人類文明の歴史的過程の中で、中華文明は非常に早い時期からその特有の大規模
性と連続性を持って独自の道を歩み始めた。人類史上最大の人口集団として、物質
文明―政治文明―精神文明の発展過程において一歩も譲らず、世界をリードする存
在にさえなっている。
 3000年前から始まった「周文王」から「漢代の制度」に至る中国の、精神的及び
政治制度の進化は、「世襲社会」から「古代選挙社会」へと安定した道を切り開い
た。(詳細は拙著「世襲社会」「選挙社会」参照)。

〈「文明」の全容〉
 現代文明は科学技術と経済の奇跡を生み出したが、文明が物欲によって終わって
しまうのではないかという隠れた懸念をもたらし、人々に不安を抱かせた。物質的
な達成や物質的生活の改善を喜ぶ一方で、物質的欲望が流行し功利主義的になり、
価値の追求のみとなった。
 精神的に貧しくなり、手に入れた物質的な豊かさやそれによってもたらされた自
由な余暇時間を精神や芸術の発達のために使われないことがしばしば見られるよう
になった。精神と知恵によって動物界から脱却した人間が、物を追うためだけの動
物的追求に回帰してしまったのである。

 このような価値追求は、人間固有の精神的価値の具現化を妨げるだけでなく、環
境汚染や気候変動による外的問題、人工知能や遺伝子操作による内的問題など、多
くの現実的な危険と課題を突きつけている。
 人は根本的に変わってしまうのか、あるいは入れかわってしまうのか。ハイテク
機能や大量殺りく兵器による戦争の影は、常に人類の前に立ちはだかるのだろうか。
これも拙著「人類に未来はあるか」で憂慮していることである。

 人類は早急に反省しなければならないときを迎えている。反省はまず問いかける
ことなので、「文明の両端」では、テクノロジーの飛躍的な発展やこの発展が常に
文明の促進につながると確信し喜ぶ人たちに問い続けた。
 「「文明」という概念の意味を完全に明らかにする必要があるのか。私たちはど
のような文明を望んでいるのか。単なる物質文明や技術、経済のたゆまぬ発展だけ
なのか。人類は動物界から脱却して、動物や外界のものに対する支配力を究極まで
高めたいというのだろうか。技術の進歩は文明全体の繁栄に貢献するのか、それと
も危機をもたらすのか。文明史の後端にある人類の未来と進むべき道は何か。マッ
クス・ウエーバーの言うところの、物欲と物事を制御する能力からなる「鉄の檻」
からどうやって抜け出せばいいのか。文明の端緒において、古代の人々が生存と発
展の基本的な需要を満たすために、物質的エネルギーの獲得に全力を尽くさなけれ
ばならなかったとしたら、現代の人々は物事を制御する能力と物質的生活の向上の
ためにやはり全力を尽くす必要があるのか。これはどのような危険をもたらすの
か」

 これらの問題をきっかけに、広く深く人類文明の方向性や人類の価値追求体系、
自己制御力や規範体系を考え、さらに私たちの行動や生活スタイルを調整できるよ
う、人々が関心を持ち覚醒するよう願っている。
(何懐宏 中国鄭州大学哲学学院特別招へい主席教授)
〔中国新聞社2022年08月05日〕
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編集長:李年古/副編集長:前野貴子 特別協力:劉莉生
翻訳:竹内はる菜 澤田裕子 楊桃 村井好子
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