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電子マガジン・中国最新情報
中国国内各紙の報道をもとに編集部が独自のセンスで選んだ、中国経済全般、政策動 向、産業一般、社会などホットな中国情報満載。日本の報道では物足りない、今の中 国を日本語で読みたい方は必見!
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教育・文化ウオッチ@中国最新情報 No.781 2022年8月3週号
発行:《中国最新情報》編集部 http://www.bizchina.jp/
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━【お知らせ】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「中国最新情報」は夏休みのため、休刊します。
 次回配信は2022年10月2週の予定です。

━【目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┏【特集:大都市と小都市が抱える住みにくさの問題】
●2022年卒業生の都市選択ランキング
●なぜ大都市から逃げて故郷に帰る若者が苦しさを感じるのか

┏【李年古の日中異文化交流術】
●日本で最も長い一夜

┏【国際】
●端午の節句 屈原精神の中核的内包をどのように理解するのか

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回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回
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……【特集:大都市と小都市が抱える住みにくさの問題】…………………………
●2022年卒業生の都市選択ランキング
 2022年卒業生の都市選択ランキングでは、杭州は一線都市に次ぐ5位だった。上
海が依然としてトップである。
 学生は当該地域の教育発展や就職状況に与える影響を考慮するため、大学入試で
の大学選びは都市選びとなる。北京、上海、広州の大学が青海や新疆などの遠隔地
よりも人気がある。

 2022年の新卒採用需要ランキング上位15都市によると、北京、深セン、広州が予
想どおり上位だ。大都市は卒業生がチャレンジする豊富な機会があるからだ。
 しかし、2022年の新卒者の就職都市選択ランキングでは、例年とやや異なり、大
学生は一線都市だけを見ているわけではなくなった。
 北京、広州、深センの順位は低下し、杭州が上昇するとともに、3位重慶、4位成
都だった。この2都市はいずれも庶民的で、住宅価格が余り高くなく、食べ物がお
いしく、景色もきれいで、今どきの卒業生の心理的な期待に合致している。
 このほか、珠江デルタの都市も大量の人材を集めており、仏山と東莞にも卒業生
の注目が集まっている。
〔熙熙説教2022年6月16日〕

●なぜ大都市から逃げて故郷に帰る若者が息苦しさを感じるのか
 大都市の激しい競争、交通渋滞から、多くの若者が次々と脱出している。一方、
小都市に帰ってきたとしても、結局また次々と北京、上海、広州へと脱出する。
 それはなぜだろうか。若者にとって、小都市での人的環境や生活習慣が受け入れ
にくいためである。

一、小都市は人情社会
 中国各地の小都市は、長い年月の中で、その小都市に属する自然法則が形成され
ている。そこでは、知り合いとしての度合いや人情と世故が重んじられ、完全な人
間関係ネットワークが存在する。これらのネットワークの多くは小都市の少数のエ
リートが握っていて、一般の子弟がこれらのネットワークに入ることはできない。
 このような人情社会では、非エリートの子弟のステップアップはない。大都市が
個人の能力を重視しているのなら、小都市は「誰と知り合いか」「誰と親戚か」が
重視される。

二、小都市でのチャンスはより少ない
 ここ数年、中国の小都市は急速な発展を遂げたが、産業構造は単一的である。企
業は伝統的な食品加工や製造などの業界に集中している。新しいタイプの企業や仕
事は中国の小さな町にはほとんどなく、これも大都市から帰ってきた多くの若者に
職がないという状況に直面させている。

三、小さな町では人間関係が「親密」過ぎて、プライバシーの維持が困難
 大都市が冷ややかであることは外部から批判されるが、実際には、多くの若者は
この冷ややかさを好んでいる。それは、自分の思うように自分の生活を送れるから
である。しかし、小さな町での知り合いに囲まれた社会では、小都市なりのライフ
スタイルが求められる。
 例えば、大都市では、結婚をせず子育てをしなくても、それは個人な選択である。
しかし小都市では、地元の人々からは何か別の違う目で見られてしまう。特に、広
大な農村地域では、若者たちには余りプライバシーがない。どんな個人的なことで
も、おばさんのお茶の間での話題になってしまう。

四、小都市の人の「怖さ」
 長い間、中国人には、「貧乏を嫌い、豊かさを憎む」というよくない気質がある。
この気質は小都市の人にはより顕著にあらわれる。大都市から帰郷して起業する多
くの若者は順風満帆ではないが、このとき、地元の人からの根も葉もないうわさを
され、足を引っ張られる現象が非常によく見られる。

五、低賃金と高い住宅価格
 ここ数年、中国の中小都市の住宅価格も急速に上昇している。安徽省の四線都市
では、住宅価格は最高で1平方メートル当たり1万1357元に達した。一方で、現地の
賃金標準は約2500元である。
 このような低賃金と高い住宅価格というミスマッチが、現在の中国の小さな町の
発展の深刻なゆがみとなってあらわれている。
〔十全小秀才2022年5月4日〕

……【李年古の日中異文化交流術】……………………………………………………
●日本で最も長い一夜
 この日は何の前兆もなく、災害はまさに突然訪れた。
 はっきり覚えているのは午後2時過ぎ、私の乗る名古屋発東京行の新幹線に急ブ
レーキがかかった。続いて、車両が子供の揺りかごのごとく、すごい勢いで揺れ動
いた。パソコンのディスプレーから視線を外し、車両入り口上部の電子スクリーン
上の一行を読み、私はひどく驚いた。
 「東日本沿岸で震度8以上の地震」。続いてこのニュースを伝えるアナウンスが
途切れることなくリピートされ続けた。同時に、先ほど停車後に起こったひどい揺
れは余震にすぎないこともアナウンスされた。
 2011年3月11日である。

 東京に長く住む私にとって、地震はもはや日常茶飯事のことである。そのため、
部屋が揺れると、妻はテレビでの速報を見ようともせず、体感で正確に震度2か3だ
と予測できる。しかし、今回の地震は明らかに尋常ではなかった。余震ですらすさ
まじかった。あのとき、電車が走っている中で遭遇した地震は、今思い出しても身
震いする。
 私は思わず周囲を観察した。人々の表情にアナウンスを聞いた後の驚きを見つけ
て、自身が受けた動揺をいたわりたかったが、私は目の前の光景にがっかりした。
 車両にいっぱいの人々は、多くがスーツを着た男性で他には子ども連れの女性が
少数いたが、意外にも驚きの色は見えず、落ち着いており、まるで今なにも起こっ
ていないかのようであった。これまでと少し違うのは、多くが電話をかけては車両
の外に足早に向かうことだった。日本のルールとして、座席で電話をかけることは
迷惑行為だからだ。
 私も急ぎ電話をかけたが、そのとき、既に携帯は目も見えず口も聞こえない代物
となっていた。どうしてもつながらない。一度席を離れた周囲の人々も続々と戻っ
てきた。幸運につながった電話もぼそぼそとと話す様子で、周りに聞き耳を立て最
新情報を聞き取ろうとするも徒労に終わる。日本人が普段大声を出して人に迷惑を
かけるのを嫌うのはまあよい。今回のような大災害においても品位を保つなんて、
天地は許さないだろう。両隣がネット検索する地震の最新情報をどうしても盗み見
たかったが、このような行為は日本人からは押し入り窃盗のようにみなされるため、
あきらめるしかなかった。わき目も振らず、聖人君子を務めるしかなかった。

 車両の中は全く声が聞こえず、ひそひそ声すら聞こえなかった。
 目の前のこの一幕は私を深く震撼させた。地震にではなく、この巨大な災難が起
こった後に沈黙を保つ車内に対してである。思いがけず襲来した災害後、心配のた
め息すら聞こえない車両。
 これが中国で起こったらと想像した。高速鉄道に乗っている中国人たちはどのよ
うな反応をするのだろう。車内はきっと瞬く間に大騒ぎとなるだろう。車内の見知
らぬ人々はその瞬間、同じ苦境にある者同士、互いに恐怖を伝え合い、自分が携帯
やパソコンから得た最新情報を伝え、この偶然発生した恐怖と悲しみを共に耐えよ
うとするだろう。
 しかし、ここにはなかった。強烈な地震ですら、人と人の距離、また礼儀を震撼
させるに至らない。窓越しの景色に夜が訪れ暗闇にのみ込まれたが、車内は依然と
してまるで世界の末日にあるかのような静けさであった。
 私はこの寂しさにどうしても耐えられず、やはり周囲を見渡した。合わせられる
視線を探したかった。私の神経を落ち着かせる表情を探したかったのだ。けれど、
誰も私に気づかず、誰も主体的に周囲を見渡そうとしない。ある者はくじけず電話
をかけ続け、またある者は必要な情報を探すのに没頭していた。

 「済みません」。背後から恐る恐るかけられた声は私を夢遊状態から引き戻した。
「充電器を貸していただくことはできますか」。
 ついにこの車内で孤独でないと伝えてくれる人があらわれたので、興奮し過ぎた
私は失態を犯してしまった。「もちろん大丈夫です」。深く考えることなく答えて
すぐ、自分がいつも充電器を持ち歩いていないことに気づいた。けれど、どうして
もこの長らく渇望した対話をここで終わらせたくなかった私はとっさにいい考えを
思いついた。
 「もしかしてお電話されたいですか?携帯お貸ししますよ。もしかしたらつなが
るかもしれません」。私は両手で差し出し、急ぎ彼に見知らぬ人からの助けを遠慮
する必要なんてないということを伝えたかった。思いがけず彼はすぐに驚いた表情
を見せ、断る振る舞いを見せ「それは申しわけなさすぎます。大丈夫です。大丈夫
です。本当にありがとうございます」
 始まったばかりの対話は突然終わり、車内はまた静寂に戻った。この切羽詰まっ
た大事なときに、助けを必要とする者が相手に迷惑をかけたくないばかりに助けを
拒むのである。
 これは普段からよく知る日本人の思考方法だ。どんなときも相手との間に形のな
い距離をとろうとする。
 コメントのしようがない。

 窓の外は真っ暗で、車内の電灯が表情と血の気のない一人一人の顔を照らし出す。
時計を見ると、停車後既に4時間以上たっていて、時間はまるで凝り固まった巨大
な氷山のようになっていた。車内は依然として何の声も聞こえず、たった今発生し
た地震の中に埋もれた誰もいない街であるかのようだった。
 私は突然これまで経験したことのない孤独を感じた。言葉で説明できない孤独。
20年以上住んできたこの国で、初めてこんなに長い夜があることを知った。
 見知らぬ、ぞっとするような気持ちがした。

(このコーナーは、日中異文化コミュニケーションの経験を中心テーマとした文章
を紹介していきます。)

……【国際】………………………………………………………………………………
●端午の節句 屈原精神の中核的内包をどのように理解するのか
 仲夏の候、ちまき笹の香る5月5日、端午の節句である。
 「節句の端午は誰が言い始めたのか、とこしえの言い伝えでは屈原のためであ
る」屈原は、中国の偉大な愛国詩人であり、ロマン主義文学の基礎を確立した人物
であり、中国の詩の魂、国の魂、民族の魂である。
 1953年、屈原は世界四大文化著名人となり、世界平和評議会と全世界の人々から
厳かに祝福をうけた。これほど盛大な詩人の祭りは世界でもまれであり、2000年以
上経た今なお国内外で盛大に記念されている。これほど後世の深い精神と文化に影
響を与え、中華民族を子々孫々育て、仁愛のある正義の人々を励ます詩人は世界で
もまれである。
 だからこそ、数千年続く中国の伝統的な祭りである端午の節句には、極めて深い
中国文明な原理と知恵が含まれている。端午の節句に際しては、屈原精神の中核的
内包から栄養を得ることが必要だ。

〈屈原の美しい政治思想〉
 屈原は賓客を応接する左徒大臣として、早くから楚の懐王の深い信任を得て、国
を治める戦略である美しい政治思想を提唱し、「離騒」に著している。

 一つ目は、仁政で国を治めることだ。屈原は、歴史の盛衰存亡の経験をまとめ、
「善」と「義」の国を治める理念を打ち出した。
 「離騒」には、「前をみて後ろを顧み、民の計極を相観するに、それたれか義に
非ずして用うべけん。たれか善に非ずして服すべけん」とある。つまり、過去を振
り返り、未来を展望し、成功と失敗を総括し、人々の生活を詳しく観察することが
重要な国を治める道だということだ。
 「賢を挙げて能を授け、縄墨に循いて頗ならず」は、政治的に有能な官吏を登用
し、法の原則に従い逸脱してはならないという意味だ。
 「先攻を奉じて以て下を照らし、法度の嫌疑を明らかにす。国は富強にして法は
立ち、貞臣に属して日々をたのしむ」が示すのは、先代の業績を民衆にはっきり示
し、法を遵守することだ。国が強くなり綱紀がただされ、賢者がまつりごとを行う
ことにより天下泰平になるのだ。一言で言えば、内政において有能な人物を任命し、
法を明確にするということ。ここに言及されている「義」と「善」は全て美しい政
治によりあらわされるものだ。

 二つ目は、人々を大切にすることである。
 「尚書」には、「民は惟れ邦の本なり、本固ければ邦寧し」と書かれている。人
々を大切にする思想は、中国の三代以来、先賢たちの国を治める共通認識である。
屈原もこの先進的な思想を受け入れ、自身の美しい政治の思想の重要な要素とした。
 「長太息して以て涕を掩い、民生の多艱なるを哀しむ」、「怨むらくは霊脩の浩
蕩として、終に夫の民心を察せざるを」、「民生各々楽しむ所有り。余独り脩を好
んで以て常と為す」これらは全て屈原の心の中での「人」の地位を体現している。
 屈原の思想は中国の歴史において先進的であり、世界の歴史においても先進的で
ある。国を平和に治めるという強い気持ちを楚王に託したが、それは現実に相反し
ており、結局揺籃の中で殺されてしまった。

〈屈原の節操を守る心〉
 美しい政治の思想は、屈原が朝廷に仕えていたときの治政の理念であり、節操を
守ることは屈原の生涯の思想の昇華と凝縮であったのである。更に重要なことは、
流刑の困難な経験を経て、天下の世事や自己認識に対してより深い洞察と再認識を
行うことで、屈原の精神世界を新たな高みへと導いたことである。
 「史記 屈原賈生列伝」の中で、屈原は「博聞彊志にして、治乱に明らかに、辞
令に嫺えり。入りては則ち王と国事を図議して、以て号令を出だす。出でては則ち
賓客に接遇し、諸侯に応対す」と述べ、祖国の左徒を司る重臣になった。楚の国を
強くするために、法律を変え、美しい政治を行おうとした。
 当時秦が天下を統一しようとしているとき、屈原は斉に同盟を求めた。秦は楚と
斉の同盟を懸念し、張儀を楚へ派遣し、上層部の役人に賄賂を渡して屈原を誹謗中
傷させた。屈原は、祖国の命運のために、死ぬまで一心不乱に信念を貫いた。
 屈原が若いころ書いた有名な詩「橘頌」は、抒情性と擬人法により、ミカンの木
が節操を守る美しい姿を描いた。「后皇の嘉樹、橘徠り服す。命を受けて遷らず、
南国に生ず。深固にしてうつし難く、さらに志を壹にす」「独立して遷らず、豈喜
ぶ可ざらんや。深固にしてうつし難く、廓として其れ求むる無し。世に蘇して独立
し、横にして流れず」。ミカンの木の姿は、まさに屈原の自画像であり自身への励
ましであり、これが屈原精神の発展である。
 「離騒」の「体解すと雖も吾猶未だ変せず」という精神と一致し、屈原は一連の
作品の中で愚昧な朝廷の闇と腐敗を鋭く批判し、祖国の人々の対する無限の忠節を
表現し、政治の理想が実現できない憂愁と苦悶を表現し、更にみずからの清廉潔白
な忠節を表現した。
 「漁父」は屈原の崇高な節操と心を体現する典型的な作品である。漁父は世を避
けて身を隠し川辺で釣りをする隠遁者で、屈原に世俗と同調して、一人世捨て人と
なって高潔な行動をする必要はないと忠告したが、詩人は「むしろ湘流に赴きて、
江魚の腹中に葬らるるとも」を強調し、自分の清廉潔白な節操を変えずに、問答の
形式を通じて、屈原と漁父の対立する人生観や全く異なる思想と性格を表現した。
その中で「物に凝滞せずして、能く世と推移す」という思想は後世に大きな影響を
与えた。

〈屈原の愛国心〉
 「愛国心」は屈原精神の中核であり基盤である。屈原の「九歌」の中の一首「国
殤」は、当時国のために命を捧げた戦士たちの崇高な志、英雄的な気概、愛国心へ
の賛辞の挽歌だ。屈原の精神の本質は、国を憂い、志を変えることなく、情が庶民
を牽引し、勇敢に探索し、邪悪を恐れないことだ。「離騒」と「九章」にある多く
の詩から屈原の祖国に対する深い感情を感じることができて、苦難を経ても、祖国
に対する忠誠は変わらず、人々に対する深く愛する誠実な心は変わらない。「亦余
が心の善とする所、九死すと雖も其れ猶未だ悔いず」は屈原の高潔な本質を表現し、
国の繁栄と強さを追求する初心の夢のために、幾多の困難や危険を恐れず、死んで
も後悔しないという忠節な気持ちを表現した。これらの詩は、屈原の祖国や人々へ
の深い愛情を十分にあらわしている。
 しかし、屈原の愛国と憂国憂民は、一般的な信念と文章だけでなく、屈原の「九
死に悔いなし」の献身的な精神に結びついている。屈原の作品と生涯は、中華民族
のつながりと礎となる愛国主義的な伝統精神を形成している。愛国心は国魂として、
国や民族の力の源です。このような国家への気持ちが、中華民族を何度もの苦難を
経て生まれ変わらせ、新たな栄光を書き続けさせ、しばしば民族の危急存亡の瀬戸
際で知識人たちに追われたのだ。
 中華民族の古い歴史の流れの中で、無数のすぐれた精神文明が育まれ、それらが
融合して偉大な民族精神を形成し、国内外の中華民族の子供たちを励まし結びつけ
ている。屈原精神は民族精神の一部として、崇高な愛国心、遠大な政治的理想と無
私無欲の闘争精神を世間の人々に示し、これらはより多くの人々により発揚伝承さ
れる価値がある。
 現在、屈原と端午の節句及び「ドラゴンボートレース」「ちまき包み」などの風
習が一体化して、全ての中国の子供たちと海外の中国文化圏を感化し影響を与えて
いる。端午の節句には、屈原精神を大いに発揚し、世界の人々でこの貴重な精神的
財産を享受すべきである。
〔中国新聞網2022年6月3日〕
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●「ビジネス企業研修@中国」 http://www.bizchina.jp/
●バッグナンバーの入手
(83号以降 2000/9/25―) http://www.bizchina.jp/ja/nweek/
●《中国最新情報――編集者コラム》http://ameblo.jp/jckc-colum/
●ツイッター https://twitter.com/bizchina_jckc
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編集長:李年古/副編集長:前野貴子 特別協力:劉莉生
翻訳:竹内はる菜 澤田裕子 楊桃 村井好子
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